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恋愛小説「ヘヴンズDream」13

誰にも相談できないこと1

 自称天使のセイと現実の世界で再会してから約一ヶ月。
 わたしは、毎日をできるだけ平穏に過ごすことを心がけていた。思い出すだけで吐き気をもよおす、あの得体の知れない悪魔の3点セット。そのセットが身体から生えてくる時の痛みと不快さは、これまで生きてきた中で経験がない程おぞましいものだった。
 今のところ、なんとかセットは大人しくしてくれているようだ。ただ、佐智への憎悪の感情を与えれば、水を得たように生き生きと延びてわたしの身体から放出されるのだろう。

 平常心を保つ

 当分、わたしの訓戒になりそうだった。
 十二月に入って、わたしたちの学年は卒業制作活動が本格的にはじまってきていた。生徒達は二年間の集大成を、数カ月かけて数点の作品で表現する。そして、科ごとに最優秀賞と優秀賞が決定されるのだ。
 わたしたちのグラフィック科での卒業制作活動は、授業が終了してから解放される制作ルームで、自由な時間に個々に作品づくりをすることになっている。
 わたしは、すでに一作品を完成し、二作品目を作りはじめるところだった。その作品も、だいたいのコンセプトは決まり、後は形にするところまで進めていた。
 バイトと卒業制作が重なって、にわかに忙しい日々を送ることになったが、その分、頭の中は訳の分からない現実から逃れられることができていた。
 今日も卒業制作に勤しむため、午後からの授業を終え、校舎の9階にある制作ルームに向かった。

「ぅわ…」

 制作ルームの扉を開けた瞬間、隙間なく生徒達でごちゃついている部屋を確認する。
 仕方なく部屋から外の廊下にイーゼルと丸椅子を引っ張りだし、隅に自分の作業スペースを作った。

 ま、ここには人がいない分、集中できるかも…。

 わたしはイーゼルに、自分の胸の高さ程はあるキャンバスを立てると、筆洗に水を入れに行く。

「凛ちゃんじゃない〜」

 非常階段の横に設置されていた水道から水を入れていたわたしの後ろで、軽く鼻にかかった独特の声が聞こえた。

「…」

 わたしはその声を無視して筆洗を持ち、何もなかったようにその場から離れる。

「ち…ちょっと、冷たいじゃないの!」

 ヒステリックな叫び声に振り返ると、その人物の顔を見つめて、わざとため息まじりに言葉を吐いた。

「だからあ。遠藤さんの近くに居たくないの」

「いいじゃない。今、ここには誰も居ないんだから」

 彼は、にこにこっと笑う。
 なんともキュートなその笑顔につい惑わされそうになったが、気持ちを鬼にしてダメと言うと、さっさと遠藤から離れ足早に自分の制作場所に戻った。

 嫌な予感…。

 椅子に座り、絵の具を彩色皿に出しながら、どんどん近付いてくる妙に軽やかな足音に、オネエ系の香りを感じ取っていた。

「いたいた〜」

 嬉しそうな声とともに、わたしの隣にイーゼルを置いた遠藤は、鼻歌まじりに制作の準備をはじめている。

「遠藤さん、さっきも言ったんだけどね…」

 わたしは、うなだれながら呟いた。

「なぁに? ここには誰もいないんだから、いいじゃない」

 彼は、頬をぷっとふくらませて椅子に座る。
 くやしいことにその表情が可愛らしく見え、わたしは黙ってしまった。

「ねえ〜、凛ちゃんはどういう作品を作るの?」

 遠藤はわたしの肩にしなだれかかると、キャンパスを覗き込んで聞いてくる。
 そのしなやかな女性ぽい動きは、さすがに普通の男子では出せない芸当だった。その上、香水だろうか、ふわっと優しい香りが漂ってくる。女であるわたしより、ずっとずっと女性らしいのだ。

「あらやだ、これ、下地塗ったところなのね。てことは、もう何枚か仕上がったの? 2枚目か3枚目? やだ〜、あたしなんか、ここんとこバイトが忙しくてまだ全然進んでないんだけど〜」

「遠藤さん」

 わたしは、わざと大きめの声を出して、彼の言葉を遮る。

「はいっ?」

 少し驚いたように目をくりくりっとさせた彼に、一言だけ真顔で低く呟いた。

「集中したいの」

「…あ。…ごめんなさい」

 意外にも遠藤は素直にしおらしく謝ると、しょんぼりと自分の作品に向かって座った。

 もおっ! わたしが苛めてるみたいじゃない!

 しゅんとした遠藤に何か話しかけなくてはと思いながらも、気まずい時間だけが流れていく。

「お、最優秀賞候補同士、並んで制作中か…」

 そんな空気の中、突然、後ろから声をかけてきた人物がいた。

「先生、何しにきたんすか?」

 遠藤が、振り返りもせずに素っ気無く答えた。

「失礼だな。お前らの指導に来てやったんだろ。水木は、そんな失礼なこと言わないよな」

 わたしに会話を振ってきたのは、イラストの授業を担当している講師の山崎だった。
 山崎は本職でフリーのイラストレーターをしながら、この学校の講師をしている。

「そうですね。でも、イラストの授業もないのに、先生が学校に来ているのは珍しいですよね。本業が暇なんですか?」

 山崎を振り返ったわたしは、からかうような声で聞いた。

「…ほんっと、どいつもこいつも可愛くないな。本業が暇なんじゃなく、卒業制作の進行を管理する担当になっちまったんだよ」