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恋愛小説「ヘヴンズDream」8

個性を放つ面々2

「で、実のところはどうなの? ホントに、遠藤珪とは何もないの?」

 石膏のダビデ像を計り棒を通して睨みながら、佐々木香苗は隣に座っていたわたしに、抑揚のない声で聞いてきた。
 午後からの選択授業。名前の通り、好きな科目を選んで受ける授業だ。昨今は、WEBなどのパソコンの授業に人気が集中しているが、わたしはデッサンを選択していた。地味で華やかさのない科目のせいか、この教室の中は生徒が少なく閑散としている。
 わざわざ人気のない授業を選ばなくても…と自分でも思うのだが、どうしてもブームというものが好きにはなれない。性格が古典的なのだろうか、伝統的でアナログなものに惹かれてしまいがちだった。

「は? 遠藤さんと? 香苗までそういうこと言うの? 何もあるワケないじゃない。ただの友達だもん」

 わたしは、ほとんど仕上がりかけていた画に陰影を足しながら呟いた。
  そう、この言葉を遠藤ファンに何度言ってきたことだろう。何もある筈がない。彼は完全たるゲイなのだから。

「ごめん、でも、わたしのクラスでも水木さんとあの人って噂されてるよ」

 香苗とは同じグラフィック科だったが、専攻が違うためクラスは別になる。
 大概、別のクラスの生徒のことなどあまり興味を示さないものだが、遠藤はどのクラスやどの学年にでもマルチに有名なようだった。

「分かってるよ。だから、困ってる」

「困ってる?」

「そう。遠藤さんが近くに居るおかげで、色んな女の子から敵対視されてそうなんだよね」

「まあ、そうでしょね。彼、やたらと水木さんにくっついてるみたいだし…」

 彼女は、表情の薄い顔に少し笑顔を作って見せた。
 香苗は色白で細く、常に冷静で飄々とした表情を持っている。ベリーショートな髪に、無彩色でシンプルな洋服を好んで着ることが多い。流行は一切取り入れることなく、全体的な雰囲気に近寄りにくい個性を窺わせた。
 彼女は普段から個人で行動していることが多い。デッサンの授業で隣に座ったことをきっかけに少しずつ話すようになったのだが、そのタイミングがなければ名前すら聞くことのない人物だっただろう。
 それは、決して彼女が無味無臭な目立たない人物という意味ではなく、逆に、自らの非凡さを知り、その存在を浮き立たせないように抑え、壁を作っている空気感があるからだ。

「あ、なら、水木さんが宣言しちゃえばいいんじゃない? 彼とは何もないですって」

「してるよ…。ただの友達だって言い回ってる」

 “わたしは、遠藤とは付き合ってません”そう言って、周りの女子が納得してくれるなら、今ここで困っていたりはしないのだ。

「あら…。そう。なら、彼自身に、つきまとわないように言ってみるとか? でも、言いにくいわよね」

「ううん、言ってるよ。でも全然聞いてなさそう…」

「え、本人に言ってるの? それでもダメなんだ…」

 香苗は、少し同情を込めた瞳をわたしに向けた。
 わたしは苦笑いを返し木炭を置いて立ち上がると、数歩下がってデッサン画の全体的なバランスの確認をした。隣で香苗がわたしの画をじっと見ていることに気付く。

「どうかした?」

 そう聞いたわたしに、彼女は感心したように呟いた。

「やっぱり、水木さんは才能あるよ。そのデッサン力…。立体感や存在感、すごいと思う。絶対わたしには表現できないわ」

 彼女には珍しく、感情のこもった言葉だった。

「ほんと? ありがと」

 素直に言葉を受け取ると、椅子に座りなおす。

「それなのかな…」

「え?」

「彼が、水木さんに惹かれる理由」

 香苗は、再び自分のキャンパスに向かって腕を動かしながら淡々と話し続けた。

「水木さんの才能に惹かれて、遠藤珪はあなたの傍にくっついてるんじゃないかなって思ったの。まあ、彼も水木さんに負けず劣らず優秀みたいだけれど。あなたたち、普通の生徒とは違って最優秀賞候補同士だし。もしかしたら、お互いに持っている才能が引き合うのかなってね」

 いつもの早口で、抑揚なく流れるように話す彼女。
 その声は珍しい程に特徴がない音だったが、その平淡な声音も、彼女の独特な雰囲気をイメージづける一端を担っていた。

「そう…なのかなあ」

 わたしと遠藤は、お互いの才能ではなくゲイバーという場所が引き合わせたのだとは言えず、適当な返事を返して誤魔化した。

「分からないけれどね。想像だから」

 “想像だから”は、彼女の口癖だった。
 話の途中でこの言葉を入れることが多い。きっと、色々な事を空想することが好きな人物なのだろう。彼女がお気に入りのアーティストの話をしている時など、妄想を膨らませた話題を暴走させるので、わたしの理解力がなかなか追い付けない状態だった。そういう時の彼女は、いつもの無表情な顔に少しだけ高揚した色を見せるのだ。

「でも、あの人には気をつけたほうがいいよ」

「…え?」

 わたしは、香苗から発せられた意外な言葉に、彼女の顔をじっと見つめた。

「彼、なんとなく、裏がありそうな気がして。男の人が好きなんじゃないかって噂もあるし、学校から離れたら何をしているか分からないわよ。個人的に言うと、ああいう感じの人って嫌いなの」

 香苗は、相変わらずの無表情で言葉を並べていた。
 他人のことにはあまり興味がなさそうな彼女だったが、意外にも好き嫌いがあるのだということを知る。
 普段とどこか違う彼女の横顔に引っかかりを感じたが、ただの思い過ごしだろうと差し障りのない相槌を打って、再びキャンパスに向かってデッサンを続けた。
 わたしにとって、好きな絵を描いている時だけは、何も考えないですむ至福の時間だった。小さい頃から、外見も内面もコンプレックスだらけのわたしの逃げ場は、一人で黙々と絵を描くことだった。結果としてそれが高じて得意なものとなったのだ。
 本来、自分というものが好きではないし信じられない。そんなわたしが、唯一自分を価値のある人間だと感じ、大切に思える空間がキャンパスの前だった。

  最優秀賞とは、卒業制作の賞のことである。まだ時期的には制作もはじまっていないのだが、これまでの成績や受賞歴から、わたしはありがたくもその候補に上がっているらしい。そして、遠藤も候補者の一人だった。
 卒業制作に打ち込んでいる間は、嫌なことも忘れていられるだろう。だが、今は秋が深まって間がない季節。本格的な制作に取りかかるまでには、まだ少し日にちに余裕があった。