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恋愛小説「ヘヴンズDream」9

悪魔に憑かれる覚えなはい1

 失恋の傷が癒えるまでしばらくは、考える時間ができることが地獄になる。
 ふと気を抜いた拍子に、佐智と隼人がいちゃついている妄想が頭に浮かんでしまうのだ。当分は考える暇がない程に忙しい毎日を過ごすことが賢明だと確信し、早速アルバイトをはじめることにした。

 学校から徒歩十分とかからない国道沿いのビルの1階に、以前からよく立ち寄っていた喫茶店があった。店内にはいつも珈琲のいい香りが漂い、どこか懐かしい昭和的な落ち着く空間が癒しを感じさせた。店のマスターは珈琲の味にこだわりを持った、とても気さくな人物だ。女子達が気に入りそうな流行の小洒落たカフェには興味がなかったわたしは、その喫茶店がアルバイトを募集していたことを思い出して、即効で面接に行ったのだった。

 今日はバイトの初日。
 授業が終わり、車や人通りの多い国道を急ぎ足で喫茶店に向かって歩いていた時、パンツのポケットに入れていたスマホがバイブしたことに気付いて取り出した。

 また佐智…。

 佐智からは、毎日のように会って話したいという内容のメールが入ってきたが、完全無視を貫いている。

 今更、何の話があるっていうの?

 スマホを強く握りしめると、送られてきたメールの内容にさっと目を通して、いつも通りに削除した。
 そもそも、最初に佐智と隼人を会わせたのはわたしだった。佐智が一人暮らしをするために引っ越すというので、男子の腕力も必要だろうと隼人と一緒に荷物運びの手伝いに行ったのだ。

 あの時、わたし一人で手伝いに行けば、こんなことにはならなかったのに…。

 悔やんでも仕方がないことは承知しているが、常に後悔が押し寄せる。わたしが知らない間に二人は連絡しあい、何度となく会うようになり、そして隼人はわたしではなく佐智を選んだ。
 二人のことで頭が支配され、闇に落ちてきた気持ちに気付いて思いきり頭を横に振る。数軒先のビルの1階に「ローマン」というレトロな看板があることを確認すると、頭の中を空にし、気を取り直すように背筋を伸ばした。
 店に着いて木製のドアを開けた途端、可愛い呼び鈴の音と珈琲のいい香が、耳と鼻を同時にくすぐった。

「や、来たね。今日からよろしく」

 カウンターにいた初老で割腹のいいマスターが、入り口に立っていたわたしに満面の笑みで声をかけてくる。

「よろしくお願いします」

 本来なら自分から挨拶をしなければいけない所を出遅れてしまって、自分の間の取り方の下手さに心の中で苦笑いした。
 店の中は、カウンター席が8席とソファ席が4席だけの、こじんまりとした空間だった。黒光りした木製のカウンターに皮張りの椅子、懐かしい雰囲気の漂う店内は小まめに掃除されていて塵一つない。

「気楽に働いてくれたらいいからね。とりあえず奥でエプロンだけ付けてきて」

 濃紺のエプロンをマスターから渡され、店の奥の6帖程の着替えができる部屋に入る。
 エプロンを付けてスタンドミラーの前に立ち、サイドの髪をゴムで縛った。鏡に映る、化粧気も色気もない自分の顔と姿を見つめると、飲食店でバイトするというより陶芸でもするような出で立ちに見え、脱力して小さなため息を付く。

  これじゃ、男にふられても仕方ないか…。

 すぐに気持ちがマイナスに向かってしまう。暗い気分にうんざりし、頬を両手で軽く叩いて店に出た。

「マスター、何をすればいいですか?」

 わたしは、器量の問題を愛想でカバーしようと、必死に笑顔を作って仕事内容を聞いていた。

「あ、そうだなあ。補充はもう終わってるし、今は暇な時間だしなあ…」

 彼は、ゆっくり一周店内を見回した。
 客は、カウンターにサラリーマンらしき人物が一人いるだけで、今はのんびりとした時間帯のようだ。

「ん〜、適当にしていてくれればいいよ。徐々に慣れていってもらうから」

 どうも、何もすることがなさそうな雰囲気だ。
 忙しく動くことで考える暇を作らないためにアルバイトをはじめたというのに、この状態だと、つい破れた恋のことを思い出してしまう。

「なら、ガラス拭きしていいですか?」

 どうしても仕事が欲しかったわたしは、マスターに向かってソファ席が並んだ道路側のウィンドウを指した。

「あ、そうだな。じゃあ、拭いてもらおうかな。でも、ゆっくりでいいからね」

 何かと気をつかってくれる彼に笑顔を返し、奥の部屋から雑巾とバケツを持ってきてウィンドウに向かった。

 はやく忘れたい…。

 心の中を占める隼人への想いと佐智への憎しみを、できるだけ早くどこかへ吹き飛ばしてしまいたかった。
 もちろん、隼人の方から佐智に惹かれ、彼女に近付いていったであろうことは分かっていた。本来ならば隼人だけを恨むべきなのだろう。けれどわたしには、そんな隼人の誘いを断り切れなかった佐智への怒りばかりがクローズアップされてしまう。
 ふっと心に風が吹いた気がしたが、その空しさを誤魔化すようにガラスふきに専念した。
 ガラスの外には道路脇に植えられていた木が、黄色い葉を付けはじめていた。秋が深まり、そろそろ冬に差し掛かろうという季節は、吹いている風がやけに冷たそうに物悲しく映る。そんな季節を恨めしく思いながらガラスを丁寧に上から下まで拭き終えると、何気なく前の道路の反対車線の歩道に吸い込まれるように目が奪われた。

  え…? あれ…。

 どこかで見たことがあるようなニット帽が、走る車と車の隙間からチラリと目に入った。わたしは目を細めてその帽子の人物を観察する。

 隼人?