惑うもの6
そんな子供達一人一人の頭を撫でて愛しそうに抱きしめ、微笑んで話を聞いている友哉の姿に、藍野は大きなギャップと胸に込み上げる熱いものを感じていた。
「あれ?お兄ちゃんは友兄の友達?」
一人の男の子が藍野に気付き、指を差してくる。
ゆっくりと振り返ってきた友哉の瞳が、光の加減で硬く透明な青にきらめき、そして褐色に落ち着くと、藍野に穏やかな微笑みを向けた。その変化の美しさに息を飲んだ藍野は、彼の瞳から視線を外せなくなった。
「なんだ、居たのか…。先に来てたのか?」
友哉は柔らかな表情で静かに微笑みながら、硬直していた藍野に訊いた。
「…あ、ああ。まあ」
「そうか、もう二時過ぎてるんだな。ちょっと待って」
そう言った彼は離れたがらない子供達を優しく宥めてその輪から抜け出し、楠木の横に置かれている閲覧席の一つを指さした。
「インタビュー、そこの机でいいか?」
「任せるよ」
藍野は、妙に緊張していることを悟られないように素っ気ない声音で答えた。
涼しげに笑った友哉に、つい視線を逸らせて先に席に着く。
目を合わせられない…。
普段から気後れや照れなどとは無縁だった藍野にとって、気持ちが動揺して目を合わせることができないなど初めてのことだった。
これまで、本気で好きだと思って付き合った相手にさえ湧かなかった感情だ。レコーダーを取り出している間にも、対面して座った友哉の視線を感じると、微かに手が汗ばんでくる
「藍野」
いきなり名前を呼ばれた藍野は、胸の動悸とともに友哉の瞳に目をやった。
澄んだ透明感をたたえた瞳で見つめられ、大きく心臓が動いたことを感じる。
「この前は、インタビューを受けられず悪かった。それに、ずっと俺の傍に居てくれたらしいな…。助かったよ。感謝してる」
「あれは傍に居たというより、俺がすぐ寝ちまったから必然的にそうなっただけで、俺は何もしてないぞ」
藍野は視線を斜め下の机に落とすと、治まらない動悸を静めようと、気付かれない程度に深い息を繰り返した。
「いや、君に自覚がないとしても俺は助かった。だから、今日はできるだけ協力するつもりだ」
落ち着いた声で話す友哉に、前回まで感じられた危うさは消えている。
静かに彼と瞳を重ねた藍野は、その美しく柔らかな面差しに、自身が溶かされそうな錯覚に捉われた。
「どうぞ。はじめてくれ」
リラックスした様子で頬杖をついた友哉は、催促するようにふと笑った。
「…じゃあ、お願いします。まず…」
レコーダーにスイッチを入れて、メモを用意した藍野は、感情が揺れないよう強くペンを握って集中すると、質問票に添ってインタビューをはじめた。
取材の内容はあらかじめ用意していた質問票に添ったもので、藍野は特別に込み入った話を訊くことはしなかった。友哉は藍野の質問には全て答えたが、基本的に自分の私的なことは話さない。話題が逸れることも、膨らむこともなかった。
藍野が本当に知りたかったことは、仕事用のインタビュー取材の中にはない。表向きの取材を終えると、レコーダーを止めて紫黒の瞳を真っ直ぐに友哉に向けた。
「…その瞳…。君はやっぱり眩しいな」
「え?」
藍野が個人的な質問を口にする前に、友哉が不意に言葉を落としてきた。
「何のことだ?」
何が眩しいのだろうか。
藍野は、少し目を細めて友哉に訊いた。〝眩しい〟という言葉は前にも耳にしたことがあったものだ。
腕を組んで椅子の背凭れに身体を預けた友哉は、微かに首を傾けて藍野を見つめる。
「…いや。それより、どうして君をここに呼んだか分かるか?」
「は?さあ…。でもここは[Feed]に似ている。松浦さんの創った空間らしい場所だ」
藍野の言葉に興味深そうな表情を作った友哉はゆっくりと席から立ち、「館内を案内しよう」と、誘いかける視線を投げた。
建物内は軽く探索済みだった藍野だが、友哉の瞳に引かれて立ち上がり、すでに先を歩きはじめている彼の後ろをついていく。どこからともなく風が過ぎ、友哉から漂ういつもの香りを感じてわずかに気持ちが乱れた。友哉は藍野に何の説明もしないまま、建物の奥に配置されている閲覧席を過ぎて端の壁まで足を進めた。
そして振り返った友哉は、視線を上げて柔らかい眼差しで建物の中央に配置されている巨木を見つめる。
「見た通り、案内するまでなく広くない図書館だ。ここは建物のデザインから手掛けているから気には入っている」
「木を大胆に使っているよな…」
藍野は友哉の視線を追って空に伸びている楠木に目を向け、眩しそうに目を細めた。
「使っているんじゃないさ。本来ここにあるべき木を切って、この場所に小さな管理事務所を作るって耳に入ったんでね。それを止めさせるためにこの図書館を創って寄贈しただけだ
「木を…切らせたくなかった?ってことか?」
「いや、そんな正義感めいたものじゃない。ただ気にいらなかったんだよ。人間は己に都合の悪いものや邪魔なものをすぐ排除しようとするだろ?」
友哉は建物内の高い天井に目をやって、遠い目で静かに呟いた。
彼の表情は柔らかかったが、その瞳に影を感じた藍野は、言葉を返さず相槌を打つだけに止めた。
この図書館が彼らしいデザインだと感じたのは、友哉が商業とは離れたところで自分の想いを込めて創ったものだからだろう。[Feed]も彼がオーナーを勤めるスペース。この二箇所だけは、彼が誰の意図も関係なく自分の創造通りに作り出した空間だった。