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BL小説「欠片を紡ぐもの」26

近づくもの1

 翌日、自分のデスクでインタビュー内容をまとめていた藍野の脳裏には、永輝の言葉が絶えずうろついていた。
〝友哉の特別な内情〟とは、どういったものなのだろう。
 単なる情報なら気にも留めかったのだが、砂川和也が掴んでいた情報ということが引っ掛かる。和也が絡んでいるとなれば、その情報で友哉を恐喝できるほどの内容かもしれない。

 七時にスタジオ。か…。

 時計に目をやると午後三時を少し過ぎていた。藍野はデスクの上の煙草を取って立ち上がり、永輝のスタジオに行くべきか決めかねたまま喫煙スペースに向かった。
〝おもしろいもの〟を見せると言った永輝は何を用意しているのだろうか。見せると表現したのだから、写真、もしくは動画だろうか。
 様々な可能性を想像しつつ廊下を歩いていた彼は、嗅ぎ慣れた煙草の香りが漂っていることに気づいた。案の定、喫煙スペースにはデザイナーの高山が主のような態度で煙草を吸っていた。

「おつかれす」

 藍野がいつも通りに気だるい挨拶をすると、高山は無言で手を軽く上げて見せた。
 灰皿を挟んで彼の前に座った藍野は、シャツのポケットから煙草を取り出す。

「調子どうよ?」

「あー、まあまあ、すかね」

 いつものお決まりの挨拶。
 煙草を口の端に咥えたまま苦笑いしてライターで火を点けた彼は、思い出したように顔を上げた。

「あ、高山さん、インキュバスって名前の空間、知らないすか? バーかなにかかと思うんだけど…」

「インキュバス? って言やあ…」

 思い当たることがある表情をつくった高山は、自分のパンツのポケットを探り、ライターをいくつか取り出した。

「お、これだ」

 そう言って高山が藍野に投げたのは、普通のサイズより小ぶりの、ロゴが入ったライターだった。

「…これって飲食店のライター? え、松浦友哉関連?」

 藍野はその黒いライターにインキュバスと片仮名で印刷されているロゴを見て、首をかしげて高山に聞いた。

「はぁ?まさか。うちの近所の昔ながらの喫茶店だ。話題の空間プロデューサーさんに関わりがある小洒落た店じゃない」

 豪快に笑う高山に、藍野は〝それはそうだ〟と納得した。
 高山は今時の流行カフェやバーなどに顔を出すタイプではない。しかも、よく見るとライターのロゴも何気に古臭かった。

「その店のマスターってのがさ、かなりの年齢なんだけど、昔はあっちのほうのやり手だったらしくてな。インキュバスは本来は夢魔って意味だろ。簡単に言えば眠っている人間を誘惑してやっちまう悪魔。意味合いは少し違うが、数多き女性を夢心地にさせたって自負から付けた名前なんだとさ。品のない話だがな」

「夢魔?っすか…。悪魔の固有名詞かと思ってた」

 藍野は高山の言葉の中に、胸の奥を引っ掻く何かを感じたが、無意識に追いやって煙草の煙を吸い込んだ。

「ところで、仕事は進んでるのか?」

「まあ、そこそこ。来週には上がりそうかな…」

「そうか。上がったら一番に読ませてくれよ。俺がデザイン担当じゃないけどな」

 高山は、先輩らしい暖かい眼差しで藍野を見つめる。
 少し笑んで頷いた藍野は、腰を浮かせて吸殻を灰皿に落とした。

「珍しいな。1本だけ?もう行くのか?」

「今日は定時に終わろうと思ってるんで、仕事もう少し詰めてきます…」

 軽い会釈で高山に挨拶した藍野は、廊下を歩きながら手の中のライターを転がし、その感触を無自覚に確かめていた。

 藍野が砂川永輝からもらった名刺には、スタジオの住所が記載されていた。持ち前の好奇心の強さに背中を押され彼は、結局身体がその場所へと動いてしまった。
 足を運んでみると、オフィス街の古めかしいビルの入り口に、二階から四階が[S・STA]とサインが上がっている。[S・STA]のSは、砂川のSだろう。以前は兄弟が同じ場所で仕事をしていたことが窺えた。
 時間は7時を少し過ぎている。狭いビルの入口からどこか冷やりとした空気が漂う階段を上った藍野は、二階の受付に置いてあるベルを鳴らした。

「来てくれたんですね。どうぞ入って」

 まるで待ち構えていたかのようにすぐに姿を現した永輝は、襟付きのベージュのシャツに黒のワークパンツ姿で現れ、いつもの懐こい片笑窪の笑顔を見せた。

「…どうも」

 藍野は少し身構えを作って、先に事務所の中に入っていく永輝を追った。
 入口近くに打ち合わせ席があり、その先にはパーテーションで仕切られた事務スペースがあった。整然と並べられている机の上に電話が置いてあるだけで、〝オフィス〟という雰囲気ではなかった。しかも定時外なのだろうか誰の姿も見当たらない。

「こちらへ」

 永輝はフロアの左奥へと藍野を招き、一つの部屋の中へと促した。
 二〇畳ほどの空間。接客室にしてはプライベート感のあるソファとテーブルが入り口近くにある。壁には資料らしき本を並べた本棚、そして部屋のあらゆる場所に無動作にビデオカメラが置かれているのが目に付いた。