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BL小説「欠片を紡ぐもの」3

満月の幻影3

 赤く鈍い光と、微かに聞こえてくる音楽。
 意識を戻した藍野は柔らかいものの上に横たわっている自分に気付き、瞼を開けてゆっくりと身体を起こした。
 赤い洞窟のような長細い空間に、テーブルとソファがランダムに並び、小音量の音楽が流れている。ソファの上に寝かされていたことを知った彼は、フロアで気を失った場面を徐々に思い出していた。
 松浦という男の存在を目の前にしたところで記憶は途切れている。ここまでどうやって運ばれたのか全く記憶がなかったが、奥のガラス扉の向こうに人波で溢れるフロアが目に入ったことで、この場所がクラブのVIPルームだと理解した。

 重い体を立ち上がらせた藍野は、立ちくらみのする頭を片手で押さえながらフロアの方向へ足を向けたが、後ろから物音がかすかに聞こえた。
 VIPルームには他の客の姿はなく、振り返った先には非常口らしい扉があるだけだった。何故か気になり足音をひそめて近づいていくと、扉の向こう側から、聞き覚えのある女の高い声が途切れ途切れに聞こえてくる。

真由…?

 近づいた扉にはSTAFFONLYのサインがあったが、無視して開き、奥へと続く廊下を進んだ。徐々にはっきりと聞えてくる女の声に導かれ、廊下の突き当たりを左に折れたところで、赤い緞帳風のカーテンが目隠し代わりに吊り下げられられている部屋を見つける。中からは、相変わらず真由に似た女の声が漏れてきていた。

 藍野は、部屋に踏み込むことを躊躇った。このまま入ってしまうと、戻りたくても戻れなくなりそうな予感があったからだ。
 だが、その甘く湿っぽい欲情した女の声が紛れもなく真由のものだと確信した瞬間、彼は布を掴んで思い切り開いた。
 目の前には小さな八畳程度の正方形の部屋が、ほの暗いライトを灯して存在していた。人目を避けた隠し部屋のようだ。部屋の空間の殆どを占めるコの字に置かれた大きなソファ。そして、その真ん中の空間に配置された小さなテーブルには、ワインのボトルとグラスが置かれていた。
 他の空間と同じく全ては赤銅色に染まり、体内の洞窟のごとくグロテスクで、無意識に心を揺さぶられ惹かれるスペース。

 一瞬、咽るほどの花の香りを感じた藍野は、その光景をディスプレイを通した世界のように非現実的に見つめた。

「なに…?」

 思わず、口から小さい呻き声を漏らして目を細める。
 すぐ目に飛び込んできたのは、ソファの上の白い裸体だった。その艶かしい裸体は、脚を大胆に広げて下肢を顕に座っている。

「ん…おねがい…焦らさないで」

 真由?

 形のいいヒップを淫らに揺らせ、その細い指は自分の蕾を艶かしく刺激していた。唇をわずかに開いて、欲情した表情を隠すことなく見せつけている。
 前のソファから立ち上がった男が、彼女の隣に座って腰に手を回し身体を持ち上げると、自分の片足の上に跨らせた。

 藍野は、その男の顔を見た途端、これまで感じたことのない胸を衝き上げてくる衝動を感じた。さっきまで死角になって見えていなかったその男は、フロアで会った松浦友哉だった。
 真由の頭の後ろに手を添えて傾かせ、首筋に口付けている彼から再び目が離せなくなる。
 目の前に再度現れた男の姿に、寒気とともに眩暈を覚えた。彼の存在を感じるたび、形容し難い圧迫感と息苦しさを感じてしまう。
 眩暈の浮遊感と同時に、視界が一気に不明確になっていった。

 紅い…?

 友哉の手が艶かしく真由の首から背中へ、そして脇腹へとゆっくり這っていくと、彼女は焦れて我慢しきれず声を大きく漏らす。その手が腰を流れ下腹部の更に奥へと触れた瞬間、彼女は熱い吐息で喘ぎ、身体をよがらせた。
 真由の身体の周りから、汗が蒸発して立ち昇っているのが見える。だが、その色は紅く、渦巻く煙を感じさせた。そして更に際立ってくる花の香りが非現実感を増させる。

 香を焚いているのか…?

 薄暗いライトに、ゆらゆらと漂って見えている紅色。ぼやける視界の中で目を細めた藍野には、それがさらに渦巻いて、真由の身体を抱き締めている友哉の周りに収まるように見えていた。
 藍野は、目の前の紅に染まる光景が現実なのか夢なのか、それさえ区別がつかなくなってきていた。唯一確かなことは身体が動かないことだけだった。自分が濁った空間で宙に浮いている感覚だけがある。
 友哉は衣服の乱れもなく冷静な様子で、真由だけが酷く欲情した濡れ場を演じている情景に見えていた。

 どうしてこんなことになっている…?

 彼女は自分の恋人ではないが、好感を持っていたことは確かだ。その人物の色事を目の当たりにした心地悪さも重なって、眩暈と吐き気に似た症状を引き起こした。何度も立ち去ろうとしたが、その度に身体が凍りついて思う通りに動かなかった。

 真由の首筋から唇を静かに離した友哉は、身動きできない藍野へと、瞳をゆっくりと向けてくる。その瞳は挑発的で妖艶な赤紫色を成して彼を捉え込んだ。

「覚めたのか…?」

 友哉の声に感覚が現実へと戻された藍野は数歩下がろうとしたが、彼に眼差しを差し込まれ動きを縛られてしまう。

「…待ってた。来いよ。一緒に楽しませてやる」

 友哉はそう言って笑むと、やおら真由を膝から降ろして隣に座らせた。
 一瞬藍野は真由がわざと広げて見せた花弁に目を奪われたが、すぐに彼女の異変に気付く。露な姿を晒しているというのに、藍野を見ても動揺さえせず、まるで誘うように妖しい微笑みさえ浮かべている。

 複数の男に全裸を見られても平気なほど、彼女が性に対して奔放だったとは思えない。だが、ソファの上で夢見心地に淫らな表情をつくっている彼女は、確実に情欲に翻弄されていた。

「真由…? おい、どうした?」

 呼びかけた藍野に対して何の反応もせずに友哉を見つめた彼女は、身体全体で彼にしなだれかかると、おのずと足を広げて彼の膝にまたがる。

「ほら…。あんたも。来い」

 真由を片腕の中に抱き、微かに目を細めて手の平を上にし甘く手招きしてきた友哉に、藍野は胸の奥をくっと引っ掛かれた感覚を覚えた。

 この感覚…なんだ…?

「友哉ぁ…」

 真由は藍野が見ている前でも友哉の肩に両腕を回し、顔を近付け、身体をくねらせて大胆にキスをねだっていた。
 友哉がそれに応え、彼女の後ろ髪を掴んで荒く唇を重ねたとき、藍野は不思議な胸苦しさに見舞われた。唇を重ねたまま、友哉は藍野に向かって目の端で視線を投げて微かに笑んだ。
 彼の妖艶な眼差しの裏に、隠された鈍い光が見えている。藍野はさらに大きな眩暈を感じて目をしかめた。

 美しい男の顔に、虚ろで自虐的な色を成す濁った瞳の色がある。
 まるで底知れない絶望感を覗き見たようで、藍野は固まりきっていた身体を無理に動かして背を向けると、追ってくる何かから逃げるようにいきなり走り出した。

 なんだった…?

 VIPを抜けてフロアに出たところで、恰幅のいい男にぶつかり舌打ちをされたが、気にもとめずに走り続け、急いで入口近くのフロントを過ぎ去った。

 階段を駆け上がって地下から外に出た途端、むっとした空気に息苦しくなり、思わず壁に手を付き息を整える。
 胸苦しさに酸素を求めて空を仰ぐと、車の騒音だけが聞こえる都会の闇に満月が浮かんでいた。

 夢か…?

 さっきまでの赤い世界とは真逆の青冷めた現実に思考がついていかない。

 藍野の頭には、ただ、友哉の艶美な眼差しの裏の虚無がこびりついて映し出されていた。