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BL小説「欠片を紡ぐもの」7

堕ちゆくもの4

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 扉のナンバーを見つめたまま、藍野は部屋の前で多少の戸惑いとともに足を止めていた。
 玲巳という男にキーを渡されたことに今更ながら疑問を感じる。彼と松浦友哉の関係など知る由もない。だが初めて会った男に、いとも簡単に知り合いの部屋の鍵を渡すものだろうか。それに、松浦友哉が部屋に居るとするなら、キーなど渡さずともナンバーさえ教えれば事足りたはずだ。万が一、友哉が部屋に居ないときには中で待っていろというつもりだろうか。

 胸が嫌にざわついている。しばらくその場でカードキーを握り締めていたが、視線を落とした彼は苦笑いを浮かべた。

 わざわざこの部屋まで来て、俺は一体彼に何を訊く気だ…?真由との関係?クラブでの出来事の詳細?訊いて、どうするんだ?

 軽く溜息をついた藍野は、キーをパンツのポケットに仕舞い、部屋のドアに背を向けた。

 意味がない…。

 このパーティに来たことも、たまたまチケットがあったことと、ちょっとした好奇心からだった。その流れで松浦友哉に会ったところで何も話すことはないだろう。
 数歩廊下を引き返しはじめたとき、突然彼の真後ろで勢いよくドアが開く音がする。

「ああ、居た。外にね…」

 聞き覚えのある落ち着いた声に思わず藍野は振り返った。
 目の前に穏やかな微笑みを浮かべた男が、ドアの上方に片手を付いて電話で話しながら立っている。

「…そうだな、たしかに見たことがある顔だ。は? あ~、なるほど。仕方ないな…。ま、後で」

 男は目を細めて興味深そうな眼差しを向けてきたかと思うと、すぐに低い声音で納得するよう呟いて電話を切った。

 松浦、友哉─

 藍野は目の前の男をそう認識すると同時に、視線を逸らすことができなくなった。

 切れ長の美しい瞳に目を奪われる。クラブでの薄暗い空間では妖艶で変化に富む色を成していたその瞳だが、明るい場所では褐色で清冷な印象があった。柔らかい栗色の髪と白い肌とのバランスだろうか、彼の持つ雰囲気は一般的な日本人のイメージからは離れている。

 彼にとって今は完全にオフの時間なのだろう、ゆったりとした白いシャツと、グレーのスゥエット地のパンツを履いていた。

「下のライブハウスで玲巳がキーを預けたのって、君だろ?」

 彼の穏やかな声音には、低い艶が含まれていた。
 わずかに顎をあげて、見落としてくる視線に試す色が浮かんでいる。

「…え、まあ…」

 藍野はクラブで友哉と対面したときに気を失ったことを思い出して、構えを消せずに数歩後ずさった。
 何故か身体全体が酸素を求めて呼吸が不規則に乱れる。

「聞きたいことがあるんだろ?入れば?」

 その場で立ち尽くしていた藍野の強張りを解くように気安く声をかけた友哉は、「どうぞ」と、開けたドアの脇に立つと、ベルマンのごとくにこやかに笑んで部屋に入るよう勧めてきた。

 後には引けない。

 この部屋の扉が開いた瞬間から、藍野は後戻りできないことを感じていた。動悸が治まらないままに友哉の横をすり抜けて部屋の中へと足を運ぶ。彼とすれ違いざまに感じた独特な花の香りが、クラブでの記憶を再び呼び起こし、自動的に不安を掻き立てられた。
 さほど身長は変わらないのに、彼から漂う圧してくる存在感に全身が張り詰める。
 部屋に入るとすぐ手前に革張りのソファセットがあり、繊細な細工が施された衝立の向こうにはベッドが2台並べて置かれていた。大きな窓の外に見事な夜景が広がり、この部屋はシンプルだが高質なデラックスツインだと分かる。

 やっぱり誰か来る予定だろうな…。

 藍野の頭に後悔が過った。一人で泊まるには広すぎる部屋だ。来客が訪れないうちに聞きたいことだけ質問して手早く切り上ることを考えた。

「ここ、座れよ」

 友哉はソファを示して、その前のテーブルに置かれていた書類や雑誌をまとめ、壁際のバーカウンターに移動させている。
 藍野は勧められるままにソファに座ったが、部屋の空間や座り心地に落ち着かず、前屈みになり両膝の上で腕を組んだ。

「飲めるだろ?」

 いつの間に用意していたのだろうか。
 両手にウォッカを入れたグラスを持った友哉が、片方のグラスを藍野に手渡してくる。

「…どうも」

 躊躇った表情でウォッカを受け取った藍野の前に、友哉はゆったりと腰をかけて足を組んだ。

「じゃ、再会に」

 持っていたグラスを軽く掲げた友哉は、余裕の表情で微笑んでウォッカに口をつける。