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恋愛小説「LOVEメタル」28

そして蝋人形に…4

「入れよ」

 わたしが引っ張っていかれたのは、鹿嶋のマンションだった。
 何を考えているのだろう?と戸惑いながらも彼の部屋に入る。彼は、テーブルの上から楽譜を持ってくるとキーボードの楽譜立てに置いて、わたしに〝弾け〟とばかりに、顎で示して腕を組んだ。

 威圧感…が怖い。

 仕方なく電源を入れたわたしは、恐々と手をのばして楽譜を見た。
 実際にこの曲を弾いたことはないが、USBの音源を聴いて音のイメージはついていた。鹿嶋の視線を感じながら弾くことに緊張してしまい、かすかに指先が震える。
 だが、一フレーズ弾いてしまうと指が勝手に動き出した。想像していた以上に美しいメロディーが、指と耳にとても心地いい。気がつくと、わたしは夢中になってキーボードを奏でていた。

 なんだろ、この楽しさは…。メロディーのせい?

 あっという間に曲が終わってしまった。物足りない。もっと弾きたいという気持ちが湧きあがる。
 ふと、隣の鹿嶋を見上げると、落ち着いた優しい瞳で見下ろしてきた。

「あの…」

 どうしてキーボードをわたしに弾かせたのか、理由を聞きたかったのだが、彼は何も言わずその場を離れて部屋から出て行った。
 放置されたわたしは楽譜を見つめつつ、キーボードを弾いたことを少し後悔した。彼から離れようとしている今になって、キーボードが楽しいとは思いたくない。弾くことに気持ちを残したくはなかった。少し名残惜しさを感じながらも、そっと電源を落とす。
 すると、鹿嶋が部屋の扉を開けてケース入りの缶ビールを持って戻ってきた。

「ライヴの打ち上げ、逃したから付き合え」

 ビールを一本手渡ししてきた彼はソファに座る。

「…」

 わたしは黙ったまま、前回座ったように彼の前に腰を下ろした。

「で、どうなんだ? キーボード、するつもりはないのか?」

「…ごめんなさい」

 缶ビールを両手で握りしめたわたしは、視線を落として彼に謝った。
 ソファの背凭れの上に片腕を乗せ、どっぷりと座っている彼は、「ま、しかたないか」と、小さく呟く。

「…でも、弾いてる時はすっげ楽しいんだろ?」

 その言葉に、思わず顔を上げた。

「どうして分かるの?」

「顔に出てる。バイト先でのあんたって、いつも余裕がなくてつまらなそうな顔してたけど、弾いてる時は別人だ…」

 彼はそう言って、ふっと笑った。
 全てを見抜かれているような気分になった。自分では全く気付かなかったが、目標が見付からず焦りと虚しさに囚われていたことが、日々の態度に出ていたようだ。

「…うん、ほんとはね、キーボードを弾くことはすごく楽しい…」

 認めるしかない。
 弾くことが、そして彼の音が好きだ。何年か振りにキーボードをこの部屋で弾いたときは、〝楽しい〟という感覚をひさしぶりに実感し、まるで水を得た魚のような感覚になった。

「なら、なんで断る?」

 彼はわずかに首を傾けて目を細め、静かに聞いてくる。

「…どうして…かな」

 返せる言葉が見付からず、笑って誤魔化した。
〝あなたが好きだから、バンドの仲間として見られることも、彼女の存在を目の当たりにすることもつらい〟という本当の理由なんて言えるはずがない。
 これ以上、断る理由には触れてほしくないという意味も込めて、手の中で温まっていたビールを開けて口をつけた。

「ま、いいけどな。無理して弾いても楽しめないだろうし」

「ん…、ごめんなさい。でも、鹿島さんのバンドのファンではいるつもりだから。またライヴ行くね」

 わたしの言葉に微かに笑んだ彼は、飲み干した缶を片手で握り潰して、新しい缶を開けた。

「とにかく、ビールは付き合えよ」

 缶ビールを軽く掲げ、柔らかく笑う瞳の色が紫がかっている。
 その整いすぎている容貌からか、普段は挑戦的な色に見える瞳だったが、今は落ち着いた暖かい色を成していた。これが彼の本質なのだろう。
 無愛想でもなく挑戦的でもない。何も言わなくてもそこに居るだけで、すっと落ち着けてしまう存在。それは彼が常に周りを受け入れているからかもしれない。
 物憂げで人のことなど関心がなさそうに見える態度の裏に、全てを見透すかのような観察力を持っている。観察力というよりは優しさ?気遣い?洞察力? 一体、何に長けているというのだろうか。
 彼という人物の魅力の要因を、どこまでも探ってみたくなった。

「ん?」

 彼はわたしの視線に気付いたように、缶に口をつけながら、瞳だけを向けてくる。
 目の前から真っ直ぐに見つめてくる透明感のある瞳に大きく動揺し、慌てて差し障りのない話を持ち出した。

「あ、鹿島さん、バイトを辞めさせられたって聞いたけど?」

「…あ~、まあな」

 彼は、可笑しそうに小さく笑った。

「マネージャーと揉めたって…。脅した?って矢田さんが言ってたよ」

「…ちっとな、むかついた」

 苦笑いをするが、それ以上は何も言わず、言い訳もせず軽く目を伏せる。

 ほんと、この人は…。

 たとえ、自分を首切りさせた相手にさえも、悪口や愚痴は一切言わない。
 彼ほど潔い人に、これまで出会ったことがないかもしれない。