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恋愛小説「LOVEメタル」30

そして蝋人形に…6

 しばらく黙ってわたしの顔を見つめていた彼は、「ああ、あいつはリコじゃない…」と、口元に薄い笑みを浮かべて、だるそうにテーブルに置いていた缶ビールを取った。

「え?」

 一瞬垣間見えた彼の表情に影を感じ、空気が重くなる。

「…鹿嶋さん?」

 ベッドに移動し、端に腰を下ろした彼は、ビールに口をつけてから前屈みの体制で座る。
 しばらくの沈黙が続いたあと口を開いた彼は、軽くため息をついて俯くと、棒読みのように呟いた。

「あんた、一言多いな。忘れようとしてんのに…」

「…何」

 何を忘れようとしているの?と聞きかけたが、言葉を途中で切った。
 無言で拒否してくるような彼の態度から、これ以上は踏み込まないほうがいいと直感的に悟ったからだ。
 立ち尽くしていたわたしには、この部屋での居場所が見つからなかった。苦い気持ちを抱えたままでどうしていいか分からず途方に暮れていたとき、彼はまるで鉛のような重いトーンで言葉を床に落としてきた。

「…リコはもういない」

「いない? いないって…どういうこと?」

 つい彼の言葉に反応して聞き返してしまう。
 重い空気にいやな予感が混ざり合い、ほんの一瞬が途方もなく長い時間に感じられた。

「あいつは…」

 彼は、相変わらず床を見つめたままゆっくりと、そして絞りだすように言葉を発した。

「末期癌…だった」

 その瞬間、自分の心臓の音とも思えない、大きな振動が身体に起こった。
〝どくんっ〟と響くものがあったかと思うと、続けざまに暗い場所に吸い込まれるような眩暈を覚える。決して言ってはいけない人の名前を出したことに今更に気付くが、もう取り返しがつかない。
 前回、わたしが彼の電話を聞いてしまったときは、たしかに彼女の名前を呼んでいた。あの日から十日も経っていない。彼女が亡くなったのは、ほんのつい最近ということになるだろう。視線を落として無言で座っている彼に、掛ける言葉が見つからなかった。

 どうしよう…。

 目の前がフィルターをかけたようにすっと暗くなっていく。
 自分が今、何を言ってどう立ち回ればいいのか、必死で考えようとするが頭が回らない。

「ごめんなさい…わたし…。なにも知らなくて…」

 ただ、謝ることしかできなかった。

「まあ、あんたが謝ることじゃない…けどな」

 彼が淋しい笑みを浮かべて声を低く落としたことに心が押しつぶされそうになり、自分の軽はずみに出した言葉を呪った。

 どうすればいい?? 彼は一人になりたいのだろうか? それとも誰かが傍に居たほうが気が紛れるのだろうか?

 だが、わたしのような他人の存在が黙ったままで立っていると、うっとうしいだけかもしれない。ためらいながらも、できるだけ足音を立てないように移動し、床に置いていた鞄を持った。

「ごめんなさい。ここに居ると迷惑だろうし…帰ります」

「待て」

 俯いたまま呟いた彼の、強い調子の声に足が止まる。
 彼は顔を上げるとゆっくりと手を差し出し、少し首を傾けてわたしを見上げ目を細めた。

「来いよ」

「え…?」

「思い出させたんだ…責任取れ」

 彼らしくない言葉と、強くそしてどこか高圧的に映る眼差しに身体が固まった。
 そんなわたしを見てふと表情をやわらげた彼は、「…冗談、だ」と、自嘲気味に笑って、腕を力なく落とした。
 彼の、これまでに見たことのない沈んだ瞳を目にすると、身体中に苦しさが込み上げる。
 恋人を亡くした痛みなど、当人でなければ分かるはずも、想像がつくはずもない。わたしが解ることといえば、恋人を亡くして間がない彼が、他へと追いやっていた悲しみを、わざわざ目の前に戻してしまったということだけだった。忘れようとしていた苦しさを、わたしの言葉一つで浮き上がらせてしまった。

 どうすればいいの?

 思考が堂々巡りをし、何も考えられない。
 鞄を床に置いたわたしは、そっと彼に近づき、隣に座った。

 そばに居ればいいのだろうか…。

 少し緊張を感じたとき、彼はわたしに目も向けずに腕を強く引いてきた。倒れ込むように再び彼の腕の中へと落ち、複雑に織り成す気持ちに気付く。

「…あんたさ、ちょっとリコに似てんだよ」

 わたしの髪に指をからめ、優しく触れながら彼は呟いた。
 その言葉が、胸に鋭い痛みを走らせた。以前、彼がわたしを彼女だと間違えて髪を撫でてきたときも、優しく甘く、大切そうに触れてきた。

 きっと、ずっと彼女にそうしていたように…。

 息苦しくて、呼吸が浅くなる。今、〝わたし〟は、完全に彼女の代わりなのだと分かっている。彼の広く暖かい腕の中に居ても、まるで自分の存在が消えてしまったようで苦しさが増すだけだった。

 ここには…、否、彼の中には、わたしの居る場所などないのだろう。

 だが思い出させてしまった彼の悲しみが少しでも楽になるならと、自分の気持ちに目を閉じた。包まれるように優しく抱き締められたまま、時間だけが経っていく。