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恋愛小説「LOVEメタル」35

ノーメタラー・ノーライフ4

 口ごもったわたしの次の言葉を待つように、彼は軽く腕を組んで受け入れる態度を示しているが、心が揺れて何も口から出てこなかった。

「…少し時間、あんだろ?」

 彼はビルのエントランスホールの隅に設置されている来客スペースを顎でさした。
ためらいながらも頷いたわたしは、促されるままにウィンドウ前のソファ席まで歩く。

「で、どうして?」

 彼はソファには座らず、ウィンドウに凭れて腕を組み、わたしを見下ろしながら聞いてきた。

「どうして? って、わたしが聞きたい…。ずっと断ってるのに、まだキーボードを誘ってくる理由が分からないよ」

 ピアノを少し習ったことがあるだけのわたしをメンバーに誘ってくるということは、他にキーボーダーが居ない切羽詰った状態ということだろうか。
 だが、何度も断っているのに声を掛け続けてくることがずっと疑問だった。

「だから、弾くの好きだろ?」

「え…? それだけの理由…で?」

「好きってことが大事。あんたみたいに弾くことが好きで、うちのバンドの音が好きな人間って、そうそう居ない」

…そんなものなのだろうか。

 たしかに彼が言うように、キーボードを弾くことも彼等のメロディやサウンドも好きではあるが、だからといってプレイができるということではない。

「それに、いい笑顔だと思ったしな…」

 彼は、何気なく独り言のように呟いた。

 え?

 鹿嶋の口から出た意外な言葉に、わたしは目を見開いて彼を見た。

「ま、本音はキーボードを弾いていたときの笑顔…また見たいと思っただけだ」

 穏やかに微笑む彼の表情が柔らかくて、急激に胸が苦しいほどに締め付けらる。
 彼の言葉に、気持ちが大きく揺らいだことが分かった。

「…そんなこと」

 戸惑ったわたしは、また冗談半分で言っているのだろうかと彼を見つめたが、茶化してくるような雰囲気はない。
 ただ、優しくわたしを見つめる瞳だけがそこにあった。いつもの彼より一層に穏やかで受動的な空気感がそこにある。自分の気持ちが融かされていくことが解った。

「やだな…そういうことを言うから誤解するの。鹿嶋さんが単なる優しさから言っているのは解るけど、でも勘違いしちゃうよ…」

「誤解?」

「そう、あなたの言葉や態度が、周りを誤解させて期待させちゃうの。特別に自分を想ってくれてるんじゃないかっていう風に。亜利砂ちゃんにも、わたしにも…」

 言葉に出してしまってから、思わずはっとした。
 彼のすべて受け入れてくれるような態度が、つい心に仕舞った本当の想いを吐き出させてしまった。

「あ、えっと、…」

 慌てて撤回しようとしたが、誤魔化せる言葉も取り繕うすべもなく俯いた。
 何も言わず見つめ返してくる彼との空間が苦しくて、息が詰まりそうになる。少し考えるように間を取っていた彼は、静かに言葉を落としてきた。

「…誤解させた覚えはない」

 それはそうだろう。
 誤解したということが解るのは、自分自身、その本人だけだろうから。

「あー…」

 彼は何かを思い出したように口元に笑みを浮かべ、スマホをジーンズの後ろポケットから取り出した。操作しはじめたかと思うと、一つの画像を表示させた状態で渡してくる。

「誤解させたことは、これだけだ」

 誤解?

 何のことを言っているのだろうか。手を伸ばして受け取ると、そこには犬の画像が映っていた。
 ゴールデンレトリバーの成犬が、上目使いにこちらを見上げている。真っ黒な懐こい瞳と、笑っているような口許が可愛らしい。だが、見たこともない犬だった。

「ん…? 誰のわんこ?」

「実家の犬」

「…え?」

 思わず、訝し気に彼を見つめてしまった。
 鹿嶋に、うちの子見て!みたいな女子っぽい趣味があったのだろうか。しかも、この犬に関する誤解とは一体なんなのだろう。さっぱり分からない。

「そいつのタグ、見てみろ」

 タグ?

 その犬の画像には、首輪にシルバーのタグがつけられている。少し拡大してみると、名前が掘られていることが分かった。

R…I…KO
リコ…

「はぁっ!?」

 わたしは、思わずスマホに向かって大声を出してしまった。

 リコって、わんこ!?

 頭の中で、人間と思い込んでいたリコが、犬に変化していく。ということは、末期癌で旅立ったのは、このゴールデンレトリバーということなのだろうか。

「俺は、リコが人だとも彼女だとも言った覚えはないけどな…。ま、あんたを誤解させたことは確かだろうから…」

 彼の言葉に、かあっと頭に血が集まっていくことが分かる。
 わたしがずっと自分の言葉を後悔していたのはなんだったのだろう。あの日の夜、わたしがリコという名前を出したことで、恋人が亡くなって間もない彼を相当に苦しめたのではないかとずっと悔やんできた。
 もちろん、彼の口からはリコが彼女だとは聞かなかったが、否定もしなかったはずだ。しかもあの時、わたしがリコに似ていると言われ、抱き締められた覚えがある。

「…からかったんだ…?」

 怒りを抑えながらスマホをつき返したわたしに、彼は「いや」と、まるで悪気のない表情で見つめ返してきた。