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恋愛小説「LOVEメタル」41

ノーメタラー・ノーライフ10

 見下ろされてくる熱い眼差しが、わたしを縛っていた。

「…もう、だめ…」

 どれくらいの時間、彼を感じたままこうしているのだろうか。
 逢えなかった時が嘘のように、彼をすぐ傍で感じられることに、夢のような喜びを感じていた。けれどわたしは慣れない彼との営みに、体力も気力も限界に近かった。

「まだだ…」

 低い声が、囁くように耳元に落ちてくる。
 彼は全く疲れなど微塵も感じていないようだ。

「…お願い…もう」

 自然に声を喘がせてしまう。
 まるで現実感がない空間に意識が途切れてしまいそうで、今すぐに解放してほしかった。

「しかたないな…」

 彼のその言葉を聞いた途端、力が抜けて崩れ落ちる感覚を覚えた。

「やっと…終わった…のね」

 誤解しないでほしいのだが、決して二人の甘い時間ではない。

 わたしは、鍵盤に置いていた両手を離し、椅子に座ったそのままの状態でうな垂れた。
 気付けば外は白々と夜が明けてきている。そう、彼はわたしにピアノを弾かせ続けて、その言葉通り朝まで寝かさなかったのだ。

「まあ、なんとか間に合うだろ」

 昨日のライヴで疲れているはずの彼だったが、一晩中、すぐ隣でずっと腕を組んで立ったまま、わたしを指揮監督していた。

「…そうですか…」

「その一曲だけだから、〝娘〟の代わりに頑張ってくれ」

 淡々とした声に顔を上げると、彼はピアノの譜面台から楽譜を取って、涼しい表情で辺りを片付けている。
 どうやらわたしは、年始に祖父母の家へと里帰りする百合の代役を、彼等のライヴでつとめることになるようだ。新年初のライヴにはどうしてもキーボードが必要らしい。そのための練習を、朝までさせられたということになる。

 それにしても、紛らわしい…。

 彼の〝寝かさない〟の言葉を甘い誘いだと勘違いしてしまった自分が、少し恥ずかしくなった。
 夜通しピアノを弾き続け、頭も耳も朦朧とした状態で椅子から立ち上がる。軽い眩暈を覚えながらも、疲れ果てた身体を無理に動かしながら、背凭れにかけていたコートを手に取って羽織った。

 やっぱり、わたしの存在って何なんだろう…。

 久しぶりに逢えたというのに、その貴重な時間をほぼピアノの練習に費やしてしまう彼。自分の存在が鹿島にとってどういうものなのかが、本当に疑問になってくる。
 単なる、少し使えそうな弾き手としての存在?好きという感情を利用されているだけ?と、今更だが不信感が募ってきた。
 心身共にどっと疲れ、不機嫌など通り越して無表情になりつつあったわたしに、彼は腹立たしいほどさわやかな微笑を見せてくる。

「そんな顔すんな。あんたが楽しまないと意味ないだろ」

 そう言って、手を差し伸べてきた。

「…?」

「部屋に来い。珈琲くらい入れてやる」

 好きになった弱みだろうか、優しい微笑みを向けられると、自然と顔が緩んで反射的に手を伸ばしてしまう。
 彼の手に触れたとき、一瞬で身体中が安堵感に包まれたように暖かくなった。単純なもので、好きな人の温もりを感じられただけで、さっきまで不信に感じていたことを綺麗さっぱり忘れてしまった。

 この人には、ずっと揺らされ続けるのかな…。

 ほろ苦くそんなことを考えていたわたしの手を引いた彼は、部屋から外に出たあと、鍵を何気なく渡してきた。

「預けとく」

「え…?」

「この部屋と、俺の部屋の合鍵。好きに使えばいい」

 まるで世間話でもするかのように言葉を流し、さっさと背を向けて先に歩きはじめる。
 思わず受け取ってしまった二本の鍵と彼の背中を交互に見つると、とても不安な予感が頭を掠めた。

「あの…、好きに使えって、ピアノ? キーボード?…」

 S気味の彼のことだ、当分はライヴに向けてたっぷり練習しろということかもしれない。
 少し気が遠くなりながら鍵を握りしめ、先を歩く背中を追った。

「…まじ、鈍いな…。俺に逢いたいときに、鍵を好きに使え。てことだ」

 彼は呆れたように呟いて、前を向いたまま髪を掻き上げ、少し決まりが悪そうに照れた様子を見せた。
 その仕草に思いがけず胸がきゅっと締め付けられ、苦しいほどに愛しさを感じる。わたしは、我慢できずに小走りに彼に追いつき、手を伸ばして広い背中に抱きついた。

「鹿島さん、ありがと…」 

 彼との隙間をなくすほどぎゅっと抱きついて、体温を全身で感じとった。
 もう二度と離れたくない。

「まったく…」

 だが、前を向いたままの彼に優しく両腕を掴まれ、容易く身体から解かれてしまう。
 ぴったりとくっついていたかったわたしは、彼を不満気に見上げたが、振り返って視線を落としてくる美しい瞳に、一瞬で心地よく吸い込まれた。

「もう泣かせたくないから我慢してるってのに…」

 困ったような微笑を見せ、頭のうしろに優しく手を置いてくる彼の瞳が、胸を波立たせ揺れ動かせた。
 ゆっくりと顔を近付けてきた彼は、ほんの一瞬、頬に触れるような口付けをしてくる。繊細でくすぐったく、そして甘い感覚。完全に酔ってしまいそうになった。
 だが、そんなふわっとした溶けそうな気分もすぐに放置されるかのように、あっさりと手を離された。彼はいつもと同じく何もなかったかのように背を向けて歩き出す。大きく揺らされ、その後すぐに放置される。何故だろう、その感覚にも慣れてきたかもしれない。はじめから彼の全てに揺れていたことに、今になってようやく気付いた。

ずっと彼の傍で歩いていきたい。
そして、情熱を向けられる〝何か〟に出会わせてくれた彼と、同じ夢を見ていきたい。

 面と向かっては言えないが、歩いていく彼の背中になら伝えられるかもしれない。

「鹿島さん、あなたの夢をわたしの夢にしていい?」

 言いたいことが伝わるだろうかと、緊張しつつ胸を高鳴らせながら訊いた言葉にも、特別な反応は返ってこなかった。

「…好きにしろ」

 いつも通りの素っ気なさで、答えてくる。
 けれど、彼の優しさはせつない程に解っている。彼は歩くペースを緩めて、前を向いたまま後ろ手に手を差し伸べてきた。

「笑顔、ずっと俺に預けろよ」

 柔らかく落ち着いた声音に、またわたしの心は揺さぶられた。

 この先、あなたの居ない人生なんて考えられなくなるほどに、わたしを揺らせ続けてほしい。そう願いながら、手を伸ばして暖かい手をしっかりと捕まえた。
 ふ、と笑んで、ゆっくりとこちらを振り返りかける彼。
 すでに幸せいっぱいに微笑んでいたわたしは、想いを重ねて、極上の笑顔で彼の眼差しと出逢う瞬間を待っていた。

───── 終