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恋愛小説「極彩パラノイア」11

吊橋理論?3

「ひっさしぶりだ~」

 ボックスの部屋に入り、ソファにどかっと座った彼は、いきなり曲検索マシーンに釘付けになっている。
 狭い部屋には、中心のテーブルを挟み三人掛けのソファが向き合って置かれていた。偏見かもしれないが、こういう空間にいる彼は全く違和感がない。
 わたしといえば、カラオケボックスで歌を楽しむという行動は生涯で数えられる程度の経験しかない。他人の上手くもない歌を聞いて何が楽しいのだろう。しかも、酔いしれているのは本人だけで、周りは雑談しているか曲を選んでいるか、あるいはスマホをいじっているか、そんな統一性のない空間なのだ。正直なところ楽しいとは思えなかった。
 はじめから歌うつもりがなかったわたしは、彼の前のソファに座ってエアコンの温度調節をしたり、マイクを移動させたりしていた。

「ねーさん、なに歌う? 曲入れるから言って~」

「あ、わたしあまり歌知らないから…」

「なんだ、じゃ、俺もやめちゃおっと」

 ちょうど、スタッフがドリンクを運んできた。
 アイスコーヒーに口をつけると、カラオケボックスに似つかわしくない、しんとした空気に思わず声を発する。

「遠慮せず歌って。せっかくだし」

「べつに歌いたかったワケじゃないからいい~」

「でもそれじゃ…」

 カラオケに来た意味がないと言おうとしたが、膝の上に頬杖をついて前屈みになり、上目遣いに視線を向けてくる彼が気になり言葉を止めた。

「一緒に居たかっただけだからさ」

 さらりと甘い言葉を口にする彼に、また奇妙な動悸が襲ってくる。
 心臓の音を誤魔化すように曲検索マシーンを手にとったわたしは、「じゃあ、わたしが曲を選ぶから、歌って」と、わざとテンションをあげて言った。
 この狭い空間での無言は苦しい。それなら彼に絶えることなく歌ってもらっていたほうが楽だった。だが、これまでのカラオケボックス経験値が低いせいか、マシーンの使い方すら分からず固まる。

「ねーさんさあ…」

「大丈夫。ちょっと待って。こんなの適当に使えば…」

 曲検索、で、曲名を入れればいいんだから…。

 ちょっとムキになってマシーンと格闘した。

「あ、曲名分からない…」

「誰の曲?」

 そう聞いてきた彼の声は、少し呆れた響きを持っていた。
 わたしは本来音楽音痴だし、別にカラオケ好きでもない。だから多少の無知は大目に見てほしいのだが、曲名おろかアーティスト名すら思い出せないことに気付いた。

「ん~…と。サイケな感じのバンド…」

「ああ、ラスベね~。曲は流行ったのならなんでもいい?」

 抽象的な説明だけですぐにバンド名が分かった彼は、わたしからマシーンを奪いとって淡々と曲を入れはじめた。
 やはり、カラオケ慣れしている人はサクサクっとこなしてしまう。

「てかあ、俺がラスベ歌えると思った?」

「まあ、少しだけテレビでも見かけたことあるからメジャーなのかなって…」

 プラス、なんとなく派手派手さに共通点があるから。と思ったが言わないで心にしまった。

「知ってるけど~。歌ったことないから、適当だかんね。あ、本人映像じゃないなー。まあ、ノリは…いけっかな~」

 前奏がはじまると、彼は面倒そうにマイクを取って靴を脱ぎ、ソファの上に立ち上がった。
 思わず見上げたわたしの目に、真面目な顔つきで、映像を凝視している彼が映る。

 なに? この真剣さは…?

 メロディがはじまった途端、俄然、派手な崩しダンスのような振付で歌い出した彼に意表をつかれる。
 わたしのことなど、全く気にもとめていないようだ。当人はいたって真剣そのもの、真摯に曲に取り組んでいる様子だった。歌も必要以上に上手くはじめてだとは思えない。時間が潰せればいい程度に思っていたのだが、その迫力のあるパフォーマンスに好奇の視線を外せなくなった。

 昨今のカラオケ人たちはこうなのだろうか…。

 わたしは、驚愕とともに時代に乗り切れていない自分の無知を知る。曲を歌い終わった彼に、いろんな意味での賞賛の拍手を贈った。
 だが、マイクをソファに落として崩れるように座った彼は、うなだれてこめかみを押さえる。

「やっべ俺。ねーさんのリクエスト受けるんじゃなかった。まじ選曲ミス。連れと来た時と同じ感覚でやっちまった~」

「え、どうして? すごく楽しいけどなにがダメなの??」

 なにを落ち込んでいるのだろう?
 新鮮なものを見た気分で楽しんでいたわたしは、彼の落胆の意味が分からなかった。
 彼は顔を上げてわたしを見ると、少し困ったように笑って、いつもとは違った瞳の表情を見せる。

「あのね、好きな子の前じゃ、なんていうかな、心に響くっていうか聴かせる歌を選ぶもんでしょ」

「え…」

 彼の言葉に、忘れかけていた動悸が大きく呼びさまされた。
 返す言葉が見つからず、誤魔化すよう再び検索マシーンに手を伸ばしたが、一瞬はやく彼が奪い去ってしまう。

「はい、俺の歌はもう終了」