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恋愛小説「極彩パラノイア」12

吊橋理論?4

 いつものようにへへっと笑うが、なんとなく気まずくて目を逸らせた。
 カラオケボックスで歌わない=会話をする、しかないのだが、特に彼との共通点がないからだろうか、そのネタが一向に浮かんでこない。

「ねーさん」

 所在なくアイスコーヒーに口をつけていたわたしは、彼のトーンの低い声につられて顔を上げる。
 真っ直ぐに見つめてくる瞳。部屋が暗いからだろうか、落ち着いた色を帯びている。その瞳の表情は一刻ごとに変わるように感じた。

「はい?」

 自分の戸惑いを取り繕うようにぎこちない愛想笑いをつくった。
 彼を見ていると息苦しくなり、また動悸に襲われる。こんな狭い空間では、緊張と同時に気持ちが宙に浮いたままで戻ってこない。自分がどう行動していいのか分からず、とりあえずコーヒーのグラスをテーブルにそっと置いた。
 目に映る彼の極彩色具合に影響されているのだろうか。わたしは、少し視線を落として彼から目を離した。

「ね、俺と一緒に居るのきつい? さっきから、なんとなく避けられてる気がする」

 真っ直ぐな言葉に軽い眩暈がする。
 これだけストレートに自分の気持ちを伝えられることが羨ましい。

「…そんなことない」

「そ?なんだか困ってそうだからさ」

「困ってないけど…」

「なら予定が気になる?帰ろっか。無理することないし」

 彼の声音がわずかに冷たい響きを持ったように感じた。
 わたしの中途半端な態度が苛立たせたのかもしれない。彼にはいつもの笑顔はなく、黙ったままテーブルの伝票を取って立ち上がる。気まずい空気が流れていることが分かった。
 今、このぎこちない雰囲気のままさよならをすれば、きっと二度と会うこともないだろう。ようやく奇妙な動悸からも解放されるのだから丁度いい。そう解っているはずなのに身体が動かず胸が苦しくなった。
 彼の極彩色からは目を逸らせているが、緊張状態からも開放されない。心臓のあたりを締め付けてくる苦しみから逃げられずにいた。

 部屋から出ようとして扉を開けた彼は、ソファから立たないわたしに「どうかした?」と聞いてきたが、全身が鉛のように全く動かなかった。

「ねーさん?」

 彼の呼びかけに返事すらできない自分が不思議だった。
 彼が扉を閉めなおして近付いてくる気配はあったが、うつむき加減に座ったままどうすることもできなくなっている。

「…どうした?」

 わたしの横に座って顔を覗きこんできた彼の動きが、一瞬固まったことが分かった。
 このまま立ち上がって部屋を出て行かなければと思うのだが、意思とは逆に身体がいうことを利かない。
 黙って目の前のテーブルに腰をかけた彼は、手を伸ばしてわたしの頬にそっと人差し指の背を触れてきた。痛いほどの胸の鼓動で、我に返ったように身体感覚を取り戻したわたしは、自分の頬に流れている涙に気付いた。

「…あ」

 思わず身を引き、咄嗟に自分の手で涙をぬぐうと、その手を彼にふわっと掴まれた。
 甘く苦しい感覚で、心音が身体に響き渡ったことが分かる。わたしの手を包んでいた彼の手の暖かさに、少しずつ気持ちが静まっていく。

「どうした?落ち着くまで、待ってるから」

 その柔らかい言葉に思わず顔を上げた。
 穏やかな色の瞳。
 いつもの力強い瞳の表情は消え、わたしをそのまま受け入れてくれるかのようにそこにある。さっきまでの不安なものが身体から抜けていくようで安心できた。
 ただ、波打つ胸の鼓動は消えずに残っている。それは、彼の色に影響されて起こる動悸ではない。彼のことを一人の異性として意識している動悸だ。
 予想もしなかった自分の身体の反応が、彼への思慕を嫌というほど示してきた。

「なにか…話して」

 随分と心の中の波は穏やかになっていたが、無言なまま目の前にいる彼の視線を感じていることには慣れられない。
 少し考えるように視線を斜めに落とした彼は、優しく笑って口を開いた。

「むか~しむかし、あるところに、三びきのこうまがいました。こうまたちは…」

「それって…」

 驚いて、話の途中で口を挟んだわたしの唇に、彼は〝黙って〟と言わんばかりに人差し指を軽くあてて、にっと笑った。

「こうまたちは仲良しの兄弟です。一番年上のお兄さんこうまの名前は…」

 暗記しているのか、絵本の内容をすらすらと、情感を込めて話しだした。

 この人って…。

 絵本の内容を語りはじめたのも、わたしの気持ちを和ませるためだろう。何も考えていないように見えて、実は人の心を敏感に感じとれる人なのかもしれない。
 目の前にある豊かな表情と明るい声を聞きながら、自然と笑っている自分に気付いていた。