にほんブログ村 小説ブログ 人気ブログランキングへ

恋愛小説「極彩パラノイア」16

愛する。ということ4

「着いた~。どうぞ」

 彼の家は、駅から徒歩五分程の裏通りにあった。
 本当にご近所だったようだ。

「ここ?」

 古い長屋のような民家の引き戸をあけた彼は、わたしに中に入るようすすめてくる。
 瓦屋根のしっとり落ち着いたたたずまいで、どう見ても彼には似つかわしくない風情。どうやら一人暮らしではないようだ。

「ね、家の人への手土産いらなかった?」

 わたしは、小声で彼に聞いた。

「なんで? 俺一人なのにいらないでしょ。入って」

 玄関から中に入った彼は、わたしを手招きする。

 この家に一人??

 ためらいながらも足を踏み入れると、古い家の香りが心地よく鼻をついた。
 前方に続く細長い土間には砂利が敷かれ、奥に台所がある。すぐ左に十畳はあるような広い和室が見えた。

 なにここ? 本当にここで一人暮らし?

 促されるままに靴を脱いで玄関から和室に上がった。
 彼が開けた奥の障子の外には縁側があり、その先に手入れが施されている日本庭園の縮小版のような庭が見えた。

「くつろいでいて~」

 彼はそれだけ言って、また土間へと降りていく。
 部屋の真ん中には大きな荒堀の木のテーブルがあり、座布団が隅に重ねられていた。他にはなにもなく、テレビやパソコンの類も一切置かれていない。この空間だけ、忙しない世界についていけないかのように、時を止めている面持ちだった。
 本当にハレーション男子の住処なのだろうか。全く彼に似合わない居住空間に、驚きを越して潔さまで感じてしまう。

 ここは客間…だよね?

 きょろきょろと見回してみると、ふすまを挟んだ隣にも部屋があることに気付き、覗いてみたい衝動にかられた。だが、彼の足音を察知し、座布団の上に正座をして座った。

「おまたせ~」

 漂ってくるいい香りといっしょに、彼はトレイを運んでくる。
 トレイに乗っているものを目にしたとき、やっと彼がわたしを家に招いた意図がはっきりした。

「どうぞ」

 食欲をそそる香りを立たせているものが、わたしの前に置かれる。
 お洒落な石の器に入っている、ビーフシチュー。驚きと、食欲をそそるその色艶に、わたしは数秒固まった。

「食べたいって言ったでしょ?ってか、言わせたんだけどさあ~」

 畳の上にトレイを置いた彼は、わたしの前に座ってテーブルの上で腕を組んだ。

「あなたが作ったの?」

「まあね~。だって、理由つくんないと来てくれそうになかったからね。ねーさんは」

 茶目っ気たっぷりにからかうような視線を向けてくる。
 少し動揺したわたしは、誤魔化すように彼を軽く睨んで、スプーンを手に取った。もしかしたら料理をする羽目になるのではと危惧していたが、ご馳走になる側だったことにほっとする。しかも、目の前のシチューは、やたらと美味しそうだった。

「いただきます」

 口に含むと、ちょうどいいトロミ具合がじわっと広がり、かすかなワインの香が後に残る。

 おいしい…。

 思わず目を丸くして目の前の彼の顔をまじまじと見つめてしまった。

「いけるっしょ?」

「すっごく」

「よかった~。あ、お茶入れてこよ~」

 相変わらず、和室でもたらっとした雰囲気が変わらない彼は、まったり立ち上がり、また土間に降りていく。

 おいしいんですけど!

 わたしの母親は料理上手だが、彼のシチューはそれを越してしまっている。思わず食が進み、あっという間に半分ほど平らげてしまった。
 普段、あまり食には興味がないのだが、この美味しさには自分でも驚くほどのがっつきぶりだった。あと二口ほど味わいたい。おかわりしようかと迷っていたとき、

「こんにちわ~」

 と、突然しゃがれた声が聞こえ、玄関の擦りガラスに人の影が映ったのが目に入る。
 お客だろうかと視線を向けていると、玄関が開いて初老の女性が顔を覗かせ、わたしに気付いて頭を下げてきた。

「あ~どうも」

 にっこりと笑った彼女に、思わず姿勢を正しなおして頭を下げる。

「あれ、宮元さん、どうしたの?」

 彼が台所から出てきたようで、その声と同時に彼女は足を奥へと進めた。

「これ、もらいものなんだけど、食べてくれない?この前くれたトマトのお礼にと思ってね」

「え、なに?白菜じゃん~~」

 死角になって二人の様子は見えないが、彼女は野菜のおすそわけにきたようだ。

「そう、あんたなら自炊で食べるかと思ってさあ」

「食べる食べる。ありがとう~。あ、宮元さんシチュー食べる?たくさんあるから食べて帰ってくんない?それか持って帰る?」

 なにやら、主婦の会話のようなものが聞こえてくる。
 彼は外見に似合わず、ご近所にしっかりと根付いて生活しているようで、何故だかとても微笑ましく感じられた。

 その後、どういう流れでか宮元さんを含めた三人でシチューと白菜サラダパーティーになった。彼は年齢に関係なく誰にも同じ優しい態度がとれる人だと知る。その空間はとても心地よくて、時間はあっという間に過ぎてしまった。

「もうこんな時間だ。送るね~」