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恋愛小説「極彩パラノイア」19

恋に破れたキューピット1

 いまだかつて経験がないほど、身体の中から水分を出した。
 一週間泣き続け、それでも涙は尽きないことをはじめて知った。おかげで、幾分かすっきりとできたかもしれない。感情的だった自分の気持ちの整理が、わずかだかついたような気がする。
 ハレーション男子のことが好きだと認識できた途端、終わってしまった恋だった。
 恋? と呼べるものだったのだろうか。ふわふわとした中に痛烈な情熱が加わったような、甘くせつない感覚。今は、オレンジの色を見るだけでも苦しいが、そのうちいい思い出になるだろう。

 なんて、強がりなんだけれど。

 頭ではそう思うことにしているが、感情はまだまだついていかない。最後に見せた彼の笑顔が頭に焼きついて、少しも薄らいでくれなかった。

「ねえ、また泣いてたでしょ?」

「…どうして?」

「瞼、はれてる」

 燈子は、心配そうな顔50%、呆れ顔50%で、わたしの顔を見つめた。

「全然。もう大丈夫だし」

「なワケないよね。平気なら、ここには来ないでしょ。いつもの図書館行ってるでしょ?」

「…」

 言葉が返せなかった。
 相変わらず、燈子は痛い場所を踏みにじるのが得意だ。ここのところ、わたしは暇な時間に近所の大学の図書館にいることが多い。通いつめていた地域図書館に行くと、ハレーション男子との思い出ばかりが蘇って、きっと涙が止められなくなるだろう。まるで自殺行為だ。
 そんな未練たらたらで、全く吹っ切れていないわたしの心境を燈子は見抜いていた。読んでいた本を閉じて立ち上がると、棚に戻しに向かう。

「ねえ、もうさ、田崎さんにしなよ。きっと、そのチャラ男と縁が切れたのも、睦月には田崎さんが似合うってことなんだって」

 後ろをついてきた彼女は、小声で、まるで呪文のように囁きかけてきた。
 田崎は、数日に一回のペースでメールを送ってくるが、どうしても会う気持ちにはなれなかった。
 燈子を振り返ると、そこには期待感あふれた笑顔がある。わたしがハレーション男子と切れたと知ってからの彼女は、呆れかえる程に田崎と付き合うようすすめてくるようになった。
 このまま、返事を濁らせていても付きまとわれるだけだ。「考えておくよ」と、前向きな振りをして答えておいた。

「ほんと? よかったぁ。じゃ、わたしからも田崎さんにそう伝えておくね」

 彼女は身体中で喜びを表現するかのように軽く飛び上がり、そのまま笑顔を残して去っていく。

 え、伝えるって、何を?

 燈子には申し訳ないが、今の気持ちで田崎と交際することは絶対にありえない。まだ、心が極彩色を忘れようとしてくれない。少し思い出しただけでも涙腺が緩むのに、こんな状態では田崎に会うことすら失礼だろう。

 近代的な内装の図書館の中は、白い壁が眩しくてなぜだか落ち着かなかった。人目を忍ぶように本を棚に戻し、また頬を伝ってくる涙を手でぬぐった。

 ◆

 田崎から電話が入ったのは次の日の夜のことだった。
 その内容は、彼のマンションで燈子も含めて軽い飲み会でもしないかとのお誘いだった。パーティはわたしの都合いい日に合わせると言われ、無碍に断ることもできない。とりあえず燈子も一緒なら気を遣わないですむだろうと、気乗りしないままに了承した。
 田崎からの電話など、これがはじめてだった。きっと燈子が、わたしとハレーション男子とのいきさつを彼に報告したのだろう。
 田崎には、はっきりと交際する気持ちがないことを伝えるべきかもしれない。直接顔を見て断るほうが誠意も伝わるだろうし、考えようによってはちょうどいい機会だとも思えた。

 そしてパーティ当日の今日まで、燈子からは毎日のように、『来ないと許さないから!』などの脅しメールが入った。なにをそんなに気負っているのかと不思議だったが、彼女なりの考えがあるのだろう。
 教えられた田崎のマンションに着くと、すでに燈子が来ていてピンクのエプロン姿で迎えてくれた。

「いらっしゃ~い。どうぞ遠慮なく」

 玄関でわたしの腕を持って、中に入るようせかしてくる。
 田崎のマンションは3LDKの新築マンションで、独身の一人暮らしには広すぎる部屋数だった。しかも分譲物件だ。きっと彼のことだから、先に現れる同居者のことを踏まえて購入したのだろう。
 リビングのテーブルの上には、燈子の手作りと思われる料理が並んでいた。
 ふと、ハレーション男子が作ってくれたシチューを思い出して胸が締め付けられる。彼の極彩色ワールドから、まったく抜け出せていない自分に気づかされた。

「睦月さん、座って」

 ワインを開けていた田崎は、穏やかな笑顔で彼の隣のソファを指差す。

「あれ、燈子ちゃん、グラスある?」

「あ、すぐ持ってくから」

 燈子はまるで自分の家のように、棚からグラスを出して、いそいそと持ってきた。

 まるで、新婚さんみたいだな─

 二人は、やはりお似合いだった。結婚もしくは交際している人逹は、なぜか似合った者同士が、必然のようにして一緒にいる。ルックスではなく、雰囲気やその人達の持つセンスの波長が合っていて、見ていて違和感がない。そういう意味では、目の前の二人は理想的なカップルだ。
 そう考えれば、わたしとハレーション男子には違和感がありすぎて、もとより傍にいること自体が不思議だった。やはり、〝見合った人〟というものが、神様に用意されているのかもしれない。
 しんみりと考えていたわたしに、田崎はワインをついだグラスを渡してきた。

「じゃあ、いただきましょうか」

 エプロンをはずした燈子は、わたしの前のソファに座る。
 軽く乾杯をしたあと、田崎とわたしはまったりとワインを飲みはじめたが、燈子はすばやく小皿に料理をとりわけていた。

「いい奥さんになるね。燈子は」

「え、こんなの普通でしょ。睦月もちゃんと料理しなさいよ」

 そう言いながらも、少し照れている彼女が可愛い。
 田崎に目を向けると、わたしと同じように感じたのか、燈子を優しく見つめていた。

 こんな表情ができるんだ…。

 その視線に、いつもの冷静な彼らしくない、情感がこもっているように見えた。

「さあ、さっさと食べて。で、飲んで。睦月、あなたがメインなんだからね」

 そう言って、彼女は惣菜をてんこもりにした皿を渡してくる。
 いつもと変わらない、ちょっと豪快な姉さん振りだが、やはり田崎の前では、ちらちらと甘えているようなシナが見えた。