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恋愛小説「極彩パラノイア」25

無彩色女子の恋6

「ったく、なんで俺がここまで言わないといけないんだか…」

 ほぼ空になった湯のみを、彼はわたしの手から抜き取って台所に持っていった。

 わたしは、どうしたいのだろう…?

 彼への気持ちを再認識してしまった今、どう行動すればいいのだろう。
 予想していなかった展開に困惑するばかりだった。

「ねーさんさ、もう帰りな。落ち着いて休んだほうがいい。連れもまた来る頃だし」

 台所から戻ってきた彼は、土間から和室に足を運びながらわたしの頭に軽くぽんと触れた。
 それだけで、きゅっと胸が締め付けられる。

 苦しいよ…。

 彼を振り返ると、再びテーブルの上を片付けはじめていた。わたしは断りも入れず和室に入って、彼が片そうと持っていたグラスを取り上げた。

「…え?」

 驚いたように見上げてくる彼に、「手伝う」とだけ言い、そのグラスを台所に運ぶ。
 どうしても今すぐには帰れない。自分の言葉で何も伝えずに帰れば、また後悔してしまう。
 タイル張りのシンクでグラスを洗いながら、この気持ちをどう伝えればいいのか考えた。だが、言いたいことがまとまらない。和室から降りてきた彼が近付いてくると、飲み止しのペットボトルを渡してくる。

「これも片付けてくれっかな?」

「…うん」

 思考に忙しかったわたしは、適当に生返事をしてボトルを受け取り、中の飲料をシンクに流した。
 頭の中がぐるぐると回りはするが、やはり言葉がまとまらない。苦闘していると、横から不審なものを見るような視線を感じて我に返った。

「で、なんで手伝ってんの?」

 シンク台に手を付いて、わたしを訝しむように見つめてくる彼がいた。

「ちょっと待って!」

 慌てて声に出したが、彼には何の〝待て〟だかさっぱりわからないだろう。
 まだ頭の整理がついていない。話せる言葉がまとまるまで時間が欲しかった。予想通り、一瞬、は? というような表情を作った彼だったが、すぐに微苦笑を浮かべ、わたしが持っていたペットボトルを取り上げてゴミ袋に入れた。

「はい、片付け終わり。もう帰りなって。でないとまた襲っちゃうぞ」

 冗談ぽく、へらっと笑う。
 以前の彼の表情に出会って、ほっとすると同時に甘い痛みが込み上げた。

「…いいよ」

 今、口に出せる言葉を探しきれず、わたしは考えることをやめた。

「あ?」

「帰りたくない…から…」

「ぁあ?」

 彼は、理解できませんと言ったように目を見張った。

「あなたと離れたくないから…」

 声が震えて感情が高まり、また涙が溢れてしまう。
 自分の気持ちを言葉にすることがここまで難しいことなのだろうか。はやる動悸をもてあまし、自分の両手で胸を抑えた。

「あ…のさあ…」

 彼は眉をひそめてこめかみを押すと、しばらくわたしを見つめてから再び口を開いた。

「自分で、何言ってるか分かってる?」

「…分かってる」

 言葉にできない想いをこめて、彼を見つめる

「じゃあ、どうして俺と離れたくないのか、聞きたい」

 真っ直ぐに見つめ返してくる瞳。
 ぶれることのない強さに圧されて言葉を発することができない。わたしは、流れ落ちる涙と、身体を突き抜けそうな鼓動だけを感じながら、彼の腕に片手を延ばすのが精一杯だった。

「俺、ねーさんを苛めてる…?」

 彼は少しせつなそうに微笑んで、わたしが延ばした手を優しく取ると、指をからませ手の平を合わせてくる。
 伝わってくる温もりが身体中に広がり、心がゆっくりほどかされた。

「泣かせてばっかだし…な」

 柔らかい色の瞳がわたしの目に映る。
 彼は、もう片方の指の背でそっとわたしの涙をぬぐった。いつしか胸いっぱいに安堵感が覆っている。彼の体温で緊張がとけたのか、凍り付いていた言葉が流れ出てきた。

「…あなたが好き…だから。離れたくない」

 張り裂けそうなほどに胸に詰まっていた想いを伝えたい。
 瞬きもせず彼を見つめた。わたしの手を解いた彼は、両腕を優しく背中に回してくる。

「その言葉だけ、待ってた」

 柔らかく抱きしめられ、穏やかな声音が耳元に落ちてくる。
 彼の暖かい腕の中に居ると思うと、愛しい感情が胸の内側から込み上げてきた。

「あなたが、好き…」

「ん、分かってたから」

 彼が、ふと笑ったことが分かった。
 顔を上げて彼の瞳を見つめると、すぐ近くにある長い睫の下の鳶色の瞳が、情熱を含んでわたしを見下ろしていた。
 魅惑的に揺れる瞳に、身体中が熱くなる。

「あなたが、大好…」

 わたしの言葉は、彼の唇で塞がれる。
 大切なものに優しくそっと触れるかのような口付けに、全身が溶けて崩れそうになった。

「その言葉、絶対後悔させないから」

 彼の手が頬に添えられ、硬く澄んだ瞳で甘やかに見つめられた。
 気持ちが通じ合い、彼の心とわたしの心が同じ場所に居るように思える。小さく頷いたわたしは、再び強く抱きしめられると静かに目を閉じた。

 逢えなかった時間を取り戻すかのような長い抱擁に、揺れる熱情とふわふわとした幸福感を感じ続けていた。