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恋愛小説「極彩パラノイア」3

ハレーション男子3

 そして、その日以降。
 彼は月曜と水曜の午後三時に必ず図書館に現れるようになった。

 毎回、待ち合わせをしているカップルかのように当たり前な態度で隣に座る彼は、バイト前の一時間程をだらだらと過ごして去っていく。
 そんな状態が一ヶ月弱続いているのだ。
 この図書館は幼い頃からよく通っている場所だった。家から自転車で十五分の距離にあり、建物は古いが窓際の閲覧席からは公園の木々が見え、館内に漂う古い本の香りが気持ちを癒してくれた。
 ジャンルを問わず本が大好きなわたしにとって、自分の部屋よりどこより落ち着く場所のはずなのに、今は少々迷惑なハレーション男子のおかげで気持ちが休まらない。

 今日は水曜日、彼はいつも通りに姿を現すことだろう。
 腕時計の針は三時少し前を指していた。その時間が近付いてくるとともに、最近は胸騒ぎのようなものに襲われる。集中できなくなってしまうことへの焦りが動悸を起こしている原因かもしれない。
 貴重な時間は一分でも無駄にしたくないのに、彼が隣に座っている一時間近くは、どうしても勉強に集中できなくなってしまう。今日こそは邪魔されずに本に集中しようと、前もって大好きな心理学者の本を予約して借りていた。
 数ページに目を通すと、すぐに本の世界に入り込んだ。さすがに興味のある著者の本は自然と集中できるものだ。
 だが、しばらくして時計の長針が二十分を指していることに気付いたとき、その集中を邪魔するように横切る感情が横切った。

 あれ…。

 いつもならとっくに現れているはずの彼が来ない。
 ほっとした反面、どうしてだろうか、いつもよりそわそわと落ち着かなくなる。
 隣に誰もいないほうが集中できるはずなのに、椅子から立ち上がったわたしの足は、勝手に心理書の棚のほうへ動いた。
 目当ての本はないが、座っていると余計な感情が流れ込んできて集中できなかった。棚に並ぶ本のタイトルを眺め、目についた本を広げてはみるが内容は頭に入ってこなかった。

 駄目だ…。

 本棚の前でうろうろするばかりで、心がここにない。

 彼が来るだろうと自分の中で予定していたことが崩されたからだろうか?常に起こることが変化したからだろうか?
 自分の心が不安定に揺れている、そのことに動揺した。
 今日は家に帰って勉強しようと席に戻りかけたとき、

「ねーさんっ」

 と、聞き慣れた声が真後ろからわたしを呼んだ。
 咄嗟に振り返ると目の前にハレーション男子の顔がある。

「ごめん、驚かせた~?」

 急に現れた彼は、わたしを覗きこむようにしてちょっと苦笑いしながら聞いてきた。

「ううん、大丈夫だけど…」

 近距離にあった顔に焦りを感じ、一瞬不自然に目をそらせる。

「今日寝過ごしちゃって。さっき起きたんだよね~」

 スカイブルーの鞄を斜め掛けにして、ワークパンツのポケットに両手を入れて立っていた彼は、へへっと笑って髪をかきあげた。
 隣で座っていたときには気付かなかったが、彼はわたしより頭一つ分ほど背が高い。今日も鮮やかな色づかいの服装が目に痛かったが、思いのほか気にならない。
 それよりも、彼が来たことで安堵している自分が不思議でならなかった。いつもの人懐こい瞳を見ていると、さっきまでの感情の波がおさまっていく。

「てかさあ、やっぱ小難しい本棚の前にいるんだなあ。どこにいるか探しちった~」

 彼は、棚に並んでいる心理書に目を向けて苦笑いしていた。
〝探した〟という言葉に、説明できない柔らかい戸惑いを感じる。

「な…なにか用?」

 微妙なてんぱり具合を感じていたわたしは、自分でも不思議なほど邪険な態度をとって見せた。

「ん~、俺でも読める活字の本がないかなあって」

「は?」

「雑誌も飽きてきたし~。たまにはぁ、ちゃんと文字でも読もうかなって思ってんだけど、自分じゃ探せなくてぇ」

 わたしに本を選べとでも言うかのような、依頼心に満ち満ちた視線を向けてくる。

「ねーさん、おすすめ本、ない?」

「おすすめ…本?」

 なんでわたしが…? と思いながらも、ワンコが餌をねだるような瞳で見つめられると断り切れず、つい彼に見合った本を探しはじめてしまう。

 わたし、なにしてるの!?

 つくづく自分でもいやになる性格だ。
 適当に流してしまえばいいのに、懐なつかれるとそれができない。
 葛藤しつつも本棚を探し回って歩くが、どうも彼にぴったりくる本が見当たらなかった。わたしがうろうろと探している間、彼は後ろからたらたらとついてきていた。

 図鑑、とかならいけるかな… 。

 棚の上方に置いてあった、花や鳥、きのこの図鑑が目に止まったが、色合いは彼にシンクロしてるとはいえ〝読む本〟ではないだろう。
 悩み固まっていたわたしの後ろで、彼が、「へっ」と微かに笑ったのが聞こえた。

「…なんで笑ってるの?」

 少しイラつきながら、本棚から目を離すことなく突っ込みを入れた。

「ごっめ~ん、だって、ねーさん真剣だし」

「は? 誰のために探してると…」

 振り返って彼を見上げると、予想外に優しく見下ろされた瞳に出会う。
 再び焦ったわたしは、ごまかすように足をはやめて棚を移動した。彼のたまに見せる大人びた瞳の表情にいつも動揺してしまう。
 慌てて視線を逸らせた本棚に、ふと目についたタイトルがあった。

「…あ」

 これなら文字慣れしていない人でも楽しく読める本に違いないと確信し、棚から引き出して彼に手渡してみる。

「ん? さんびきのこうま?」

 軽く首をかしげて本を受け取った彼は、一ページ目を捲めくった。

 あれ、反応がない…。

 わたしが手渡したのは、幼児向けの絵本。さすがに、ちょっと馬鹿にしすぎただろうか、彼の無反応さが微妙に怖かった。

「あの…」

 わたしの声など耳に入っていないかのように、彼は次々とページを捲っている。

 え、読んでる?

 もちろん、彼が読める本だと思って選んだのだが、ここですぐ立ち読みに入るとは思ってもみなかった。
 真剣な眼差しに声をかけることができず、彼が読み終わるまでの十分ほど、その場に立ってひたすら待ち続けることになる。

「これ、ちょっとやばい。ねーさん、借りといて」

 素な顔で絵本を差し出してくる。

「え?ええ?自分で借りれば?」

「もう時間ない~。明日、三時に図書館の前で待ってて。取りに来るからさ」

 彼はそう言うとわたしの返事も聞かず、にこにこっと笑顔を残して足早に去っていく。

「…なんで」

 放置状態にされたわたしは、相変わらず理解不可能な彼の行動に戸惑うばかりで、その場に立ち尽くしてしまった。
 そして今日も、さようなら、の挨拶が出来ないハレーション男子だった。