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恋愛小説「極彩パラノイア」9

吊橋理論?1

 イタリアンバーの一席で、目の前の大きな瞳に見つめられていた。
 見つめられる、ではなく、睨まれている。もしくは、呆れられているといったほうが的確だろう。前のめりに座って、わたしの顔を覗き込んだ状態で目を離さない燈子の視線が痛かった。

「ねえ、そのチャラ男がいいから、田崎さんからの誘いを断るってことなの? そうなの?」

 怒りを抑えた言葉が怖い。

「彼がいいからとかじゃない。田崎さんはいい人だし落ち着くけれど、好きとは思えないし…」

「ふうん、じゃあ、しばらくキープしておけば? 田崎さんだって、すぐに返事しろって言ってないんでしょ? 彼は大人だから、睦月が考えたいって言えば待ってくれるわ」

「う…ん、でも…」

 わたしは小さくなりながらテーブルの上のカクテルに口をつける。
 平日の今日、田崎との交際を断るつもりで会社帰りの燈子をバーに誘いだした。だが、案の定すんなりとは受け入れてくれないようだ。このバーは彼女のお気に入りの店。好きな空間でアルコールが入ると、少しは物分かりが良くなってくれるだろうという期待は崩れ去る。燈子はいつもより増して饒舌になり頑なになっていた。

「なに?はっきりしないわね。もしかしてチャラ男となにかあった?」

「え?なにもない。けど…」

「けど?」

「ん、水曜日デートすることになって…」

 ハレーション男子とは無国籍料理店で鉢合わせた次の日に、図書館でいつも通りに会っていた。
 彼は店での出来事など何も気にしていなかったようで、いつもと変わらない態度で接してきた。一緒に居た女子は誰なんだろうと気になっていたわたしとは真逆で、わたしと一緒に居た田崎のことなど少しも頭にないようだった。その証拠に、いつものごたさきとく軽いノリで水曜日にデートに誘ってきたのだ。そして、わたしは彼のまったりとした強引さに押されてOKの返事をしてしまった。

「…あのね、睦月」

 ため息をつきながら陶子は再び口を開く。

「そのチャラ男のことなんだけどさ、睦月にとっては、ほら、誰だっけ、カナダの心理学者が提唱してた吊橋なんとかだと思う。彼の服装だのチャラさだのが珍しくて変な動悸を感じてるんだってば。それを恋心と間違えてるんだよ」

「え…、それを当てはめるのは無理があるんじゃ…」

 彼女の言葉に苦笑いしつつも、内心では少し思い当たる部分があった。
 その心理学者の理論は、生理的緊張を感じる場面では、興奮を恋だと思い込むことが多い、というものだったはずだ。以前からその理論には無理があると思っていたのだが、その確立はゼロではないかもしれないと思い直した。ハレーション男子といると、常に五感がざわついている。彼の色も態度もわたしには理解しがたいもので、妙な動悸を感じ続けている。

 その動悸を恋だと思っている…?まさか?

「だからね、もうそんな勘違いから抜け出して、現実的になろうよ」

 彼女はテーブルに両肘をついて手を組むと、少し同情の色を帯びた視線を向けてきた。
 目の前にある目力の強い美しい瞳には、わたしが非現実の夢の中にでもいるように見えているのだろう。

「てかさ、チャラ男、お似合いの女と居たんでしょ?」

 なによりリアルな言葉が、一番胸の痛い場所を刺してくる。
 派手やかで個性的な、わたしとは正反対の女子と一緒にいた彼。カップルに見える自然な二人。頭では分かってはいたことだが、考えないようにしていたのだ。

「ね、分かるでしょ?わたしだって、睦月に幸せになってほしいんだから」

 さらに心配そうな色が彼女の瞳に映って見えていた。
 きっと、わたしが騙されているのではないかと懸念しているのだろう。それは八割程の高確率で当たっているかもしれない。自分でも薄々は予想していた。彼は、わたしのようなタイプが珍しいだけで、少し遊んでみようと思っているだけということを。彼からの告白の言葉を素直に受け入れられなかったのは、疑う気持ちがあったからだ。
 橙子は恋愛慣れしていないわたしのことを想って助言してくれている。今は彼女の言う通りに動いていたほうが無難かもしれない。わたしよりはずっと男性遍歴が多いのだから。

「もうその男に会っちゃ駄目だからね」

「ん…、そう…だね。分かった」

 柔らかく諭してくる燈子に、まだ否定したい自分を感じつつも、感謝しながら頷いた。
 燈子と別れた帰り道、ハレーション男子に水曜日の約束を断る決心をつけたが、いまだに連絡先を聞いていなかったことを思い出す。

 相変わらずお互いの名前すら知らないという状態だ。デートしようと誘われていい気になっていた自分が、すでに理性を失いつつあったことに今更気付いた。