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恋愛小説「天子の法則」9

実証する手段を使っていきましょう5

 目から下が隠れる黒いフェイスマスクをつけているせいで顔ははっきり見えないが、体つきから性別だけは男性だということが分かる。
目元を強調する濃い化粧が施されているとはいえ、彫りが深く形の整った瞳が時折艶めいて、女性にさえかなわない硬質な色気を感じさせた。
 美しい上半身の筋肉がしなやかに動くたび、蛾からまた別の生き物に形を変えるように見え、どんどん変化していく。滑らかで美しく、そして性別を超えて進化した人間のような存在に感じられた。
 彼はその数分とも数十分とも感じられる1曲だけを舞うと、周りからの盛大な拍手とアンコールの声にも関わらず、優雅なお辞儀を残して愛想なくステージ脇の出口から消えてしまう。
わたしは一瞬、ベリーダンスを見にきていることを忘れてしまっていた。あれは、まるで前衛舞踏を思わせるコンテンポラリーダンスではないだろうか。
 しばらくぼんやりとしていたわたしは、瑞穂の言葉で我に返る。

「さ、終わったよ。天子、そんなにつまんなかった?」

 ショーが終わった後の反応が薄いわたしを見て、瑞穂は苦笑いした。

「ううん…。ねえ、最後の人、なんて名前の人?」

「え? なに? 彼に興味持ったの?」

 瑞穂は、驚いた表情でわたしを見つめた。

「興味というか…。分からないけど、何かを感じたことは確かなの…」

 自分の中に芽生えた気持ちが、何であるかは分からなかった。
 けれど、彼のダンスを見てからほんのわずかだが、〝踊りたい〟という感覚がよぎったのだ。

「彼の名前は〝醍亜〟よ。もちろん本当の名じゃないと思うけど。でも天子、彼に入れ込んじゃ駄目よ!」

 瑞穂は珍しく険しい表情を作って見せる。

「え? なにが?」

「彼はいい噂がないの。もともとはコンテンポラリーでかなり有望視されてたみたいだけど、事故で身体を壊したらしくて。今ベリーをしてるのは、身体に負担がかからないダンスって理由もあるみたいだけど、実際は〝女だらけの世界だから、やりたい放題〟って言ってたらしいの。だから、あれに惚れちゃ駄目!」

 普段の彼女らしくない勢いでわたしに迫るように警告してきた。

「あ~、そういうのじゃないよ。ただ、あの人のダンスが気になっただけだから。それに、瑞穂だって分かってるでしょ?わたしは貧乏ダンサーなんて男として興味ないからね」

「あ、まあ、そうね。それならいいんだけれど…」

 彼女はわたしの男性に対する価値観を思い出したようで、途端にほっとしたような表情をつくった。

 その日、ショーが終わって家に戻ってからも、心の中をずっと〝醍亜〟が占めていた。魅せられた、という感覚だろうか。もちろん、異性としてのトキメキという感覚ではないとは思う。あの表現力と存在感。きっと、羨ましいのだ。ごく平凡で、人生で煌くことなどできそうにないわたしには、彼の輝きに惹かれる虫のようなものなのかもしれない。
 久しぶりに現実感から遠ざかったふわふわとした感覚になり、ふと不安を感じた。そう、ダンサーなどに入れ込んでいる暇はない。このままハマってしまうと、婚期を逃して人生に支障が出るかもしれないではないか!
 だが、わたしは自分で思うよりも現実主義者だったようだ。
 次の日にはダンスのことなど忘れ、いつも通り仕事中に〝幸福な結婚をするには〟などとコソコソ検索しながら、花嫁を夢見る派遣社員として働いていたのだった。